No.879

題名:人の足跡のあと
報告者:ダレナン

 砂浜を歩くと、必ず残されるものがある。それが、足跡である。
 静かに打ち寄せる波に、太陽にきらめく波、そして、それらがあわさり、きらきらと海面が光る。その時、もし気候的にも穏やかな時期であれば、はだしで砂浜を歩くことも少なくない。また、近くに海がなくとも、観光等できれいな海辺に訪れた人ならば、多くの人は、はだしになって砂浜を歩くに違いない。まさに、図のような感じである。ただし、砂浜で歩いた人の足跡は、波打ち際なら、その波によっていずれは足跡のあとがなくなる。波打ち際ではなくとも、風などによっていずれは足跡のあとは風化する。永遠に残る足跡のあとはない。当たり前である。

 砂は、人の足跡のあとを記憶しないし、記録しない。

 一方、人の日々の生活の営みも、砂浜の足跡のあとの様に、一時は残る。しかしながら、記憶しない、記録されない営みの足跡のあとは、砂浜のあとと同じく、いつかは風化する。ただし、その営みを文章化や映像化などすれば、足跡のあととして幾分は記録される。ここに書いてある文章も、公開すればサーバー上で記録される。文意はともかく、機械的には保存される。
 このようにして、文章や映像が操れるようになった今では、足跡のあとのような、取るに足らない些細な営みも、記録することができる。しかしながら、これが、人の記憶に残るか否かは、これを読む方の思いであり、その方に特に想いがなければ、波打ち際の足跡のあとの様に、すぐに消え去る運命にある。

図 砂浜の足跡のあと1)

 ただし、である。人は記録せずにはいられない。記憶されなくとも、やがてサーバーの電源が切られ、あるいは、サーバーの契約が打ち切られ、記録すらなくなろうとも、記録せずにはいられない。それは、記録する過程において、何らかの痕跡が記憶されるからである。

 人は、人の足跡のあとを記憶し、記録する。

 その記憶され、記録された何かは、人の、意識の、波間できらきらと光る。
 それこそが、人の生への欲求に違いない。まさに、人生の足跡のあとを残す。

1) https://unsplash.com/photos/8c_AXb_u2IQ (閲覧2018.8.1)

 
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