No.850

題名:新ism、”感情のダダもれism”に関する提言
報告者:ダレナン

 ヒトの脳は、感情と理性で支配されている。理性はより感情を抑えるが如く働き、感情を支配しようとする。しかしながら、報告書のNo.351でも示したように、理性を司る論理性と情感なども含めた感情性を鑑みると、ヒトの脳の制御形態として、感情性が基底にあり、その上に論理性、いわば理性が存在する。そのことから、どのように理性が感情を押さえつけようとも、時に感情が優位となり、見た目には「感情的」となる。それが感情のダダもれであり、その状態はism(行動・状態・作用の意、あるいは、特性・特徴の意、さらには、病的状態の意も含めての意1))を付けて、”感情のダダもれism”とも言えるのかもしれない。
 ”感情のダダもれism”は、まさに「感情的」であり、もはやそこには理性はない。「感情的」な状況として、負的には、怒りに怒り、泣きに泣き、正的には、笑うに笑う、となる。ただし、笑うは、ヒト特有の文化的な背景もあるために、怒りや泣きとやや異なる様相があろうが、”感情のダダもれism”によって、人は、過去の動物的な名残をもったヒトへと変貌する。しかしながら、時には、その”感情のダダもれism”がもたらした動物的な回帰によって、人としての真の姿を取り戻す。
”感情のダダもれism”が表立った時には、脳内では、深層に当たる大脳辺縁系が優位となる。図に従えば、その人はネコやイヌへと変貌したとも言えるのかもしれない。さらに、その深層に当たる脳幹に触れるほどに”感情のダダもれism”が真相すると、ジュラシック・コード2)とも呼ばれている恐竜の脳として本性が目覚める。そのため、「感情的」な人は、ガオガオガオーとなるわけである。

図 人間の脳の機能の模式図2)

 一般的な脳の機能として、大脳辺縁系は報酬系でもあり快楽を司る。また、脳幹は呼吸などの生命維持の機能を司る。”感情のダダもれism”が真相した場合、後にふと我に返り、人にもどると、その人は非常に疲れる。それは、興奮とともに、生命維持の機能にも変調をもたらしたからでもあろう。ただし、その変調は、うまく「こと」がなせば、新たな動物的な観点をその人が獲得するきっかけにもなる。そういう意味で言えば、「こと」が社会的に問題視されない程度で、「こと」すめば、その人は新たな人へと進化したとも言えるのかもしれない。それは、決して理性でなすことが不可能であり、結局のところ、”感情のダダもれism”がもたらした成果でもある。
 そこで、”感情のダダもれism”を逆方向に理性面から考える。すると、”感情のダダもれism”は、図の境界で言えば、点線にあたり、内枠から外枠へのダダもれが必要となる。しかしながら、例えば、人工知能がどのように発達しようとも、境界の外枠にあたる大いなる理性的な推論は進歩するも、タガが外れた、ヒトの”感情のダダもれism”の、内枠からの機能を獲得するには、その進化を遡らなければならない。人工知能を機器的に遡ると、よくてトランジスタ、もっと遡れば真空管となる。真空管がガオガオガオーとなるのは、真空管が壊れた時で、これも人の壊れ方と決定的に異なる。

1) https://ejje.weblio.jp/content/ism (閲覧2018.7.5)
2) https://tech.nikkeibp.co.jp/it/article/COLUMN/20060516/238091/ (閲覧2018.7.5)

 
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