No.814

題名:”どーでもよい”から、ウナギを食べるから、美女を巡る思索
報告者:アダム&ナッシュ

 一般的に分からない用語があると、それを調べなければいけない状況か、あるいは、調べなくてよくてスルーしてもよい状況かで、その用語に対するその後の知識が変わる。調べなければいけない状況は、仕事や学校など、提出先が決まっている場合などであろうか。それを提出しないことには、自分の身分が危うくなる場合である。その時は、分からない用語を調べ、なんとか提出物をまとめようと努力する。一方、調べなくてもよいスルーできる状況は、提出義務のない場合などであろうか。ただ単に、自分の本を読むやネット上の文章を読むなどがそれに当たるであろうか。そうすると、先の場合は知識が増えるも、後の場合は増えなくてもよいこととなる。いわば扱いとして興味のない用語と同じである。必要に迫られれば、なんとか調べるも、興味のない知らない用語は、いってみれば”どーでもよい”用語となる。さらに、用語だけではなく、興味がありそうだったと思われたものの、興味がなく、文章が知らない用語の羅列であった場合は、無理して分かろうとはせずに、明らかにスルーする。まさに、”どーでもよい”文章となる。
 一方、”箸にも棒にもかからない”ということわざがある。そのことわざ自体は、「取りあつかい方法がわからないこと。または、手がつけられないことのたとえ。また、どうしようもないほど、ひどい、ということ。箸を使っても、棒を使っても取り上げることができない、ということから」1)生じている。簡単に言えば、ウナギを掴もうとして、箸を使っても棒を使っても、そのウナギは捕まえられないのようなものであろうか。このことわざの類語として、” 煮ても焼いても食えない”があるが1)、確かに食えないものは食うことができない。用語も文章も”どーでもよい”ならば、ウナギは捕まえられず、食えない(知識にならない)。ただし、特殊な箸や棒を持った人は、その特別なウナギを食べることができる。
 そして、この”どーでもよい”文章の羅列の中に、光り輝く何かがあるとする。その何かとは、ありとあらゆる人が持つ、”箸や棒”にもかかる特別なウナギのようなものである。その特別なウナギは、電気ウナギになるのかもしれないと思いきや、電気ウナギは放電するものの、光輝く訳ではない。さらに、電気ウナギに”箸や棒”を差し出せば、間違いなくしびれる。
 では、逆にしびれるような光り輝く何かがここに提示されていれば、”どーでもよい”は光り輝き、電気ウナギに”箸や棒”を差し出したが如く、しびれるに違いない。そこで、13億人を秒殺したとされる中国の美女の張辛苑(Zhang Xinyuan)さん2)の画像(図)を提示すると、”どーでもよい”ウナギを食べるだけの内容がないに等しい報告書が、見事に光り輝く報告書(スルーできない)に変身する(かもしれない)。変身した時は、

図 張辛苑(Zhang Xinyuan)さん3)

張辛苑さんに”しびれるほど素敵です”とお礼を伝えたい。

1) https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1384580.html (閲覧2018.5.31)
2) https://rocketnews24.com/2012/11/08/264509/ (閲覧2018.5.31)
3) https://i.pinimg.com/originals/96/02/7d/96027d70e893463007eba8c6d6f8c57d.jpg (閲覧2018.5.31)

 
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