No.764

題名: 人生の意味を問う
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.763の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にて、ヴィクトール・エミール・フランクル博士による「夜と霧」の著に基づき、PDCAサイクルとの内容を絡めて考え、「Pを問うてDすることは、もっともらしいと思えども、正しい答えはいつもDから導き出される」、と回答した。そして、Kinga Cichewicz氏による一枚の写真から、旅行におけるその回答例を検討した。
 それでは、なぜ、Dが人生の意味となるのか? それについてここで問いたい。
 先のヴィクトール・エミール・フランクル博士による「夜と霧」の著では、ナチス強制収容所体験から人生を生きる意味を深く問い続け、生きることについてコペルニクス的な転回が必要であることを伝えた1)。結果として、「生きることに意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべき」1)と提案している。さらに、「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けること」1)であり、変化する状況に対する対応、PDCAになぞればDすることに対して、

「人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識までに到達しなければならない。…中略…。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。」1)

と説いている。そこから、人生の意味に対して、

「わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、…中略…、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きること」1)

を見出した。そして、詩人の言葉を引用し、

「あなたの経験したことは、この世のどんな力も奪えない」1)

と人生の意味を結論づけている。
 経験はDからしか生まれない。そのDから産まれたPは、後付けであってもどんな力でも奪えない。ここにおいてようやくPが明瞭になる。これは、先の報告書で述べたように、”常に計画できない人間の直感力に基づくものがあるから”に他ならない。DゆえのPである。さらに、報告書のNo.679でも示したように、「天は与えられた課題をあなたが乗り越えられるから与えているのです。」という全宇宙の仕組みをも示唆していることにもなるに違いない。

1) フランクル, VE: 夜と霧. みすず書房. 2002.

 
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