No.697

題名:ときめきという特別の事象に伴う慨視感とベターハーフの関連性
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.625の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にてときめきに関するパズル理論を提出した。ここでは、それまでのNo.618~No.622、No.625に渡る報告書ももとに、ときめきに関する慨視感を振り返るとともに、所謂ベターハーフ(詳細は後述する)についても考えたい。
 ときめきは個人の記憶の近接度にあるクラスタ化された個人のメモリーに基づいて成された可能性がある(No.622も参照)。しかしながら、ヒトがときめく過程、所謂ひとめぼれに関する研究に際しては、実は科学的に未だ立証されていない。スイスのチューリッヒ大学(文献1)ではフローニンゲン大学)に在籍するFlorian Zsok博士ら1)によれば、ひとめぼれは、科学的にはほとんど研究されていない現象であり、その根拠は、明確な形態の愛ではなく、身体的特徴などの最初の見た目に基づくことを示唆している。通常的に考えると、ひとめぼれ自体が科学的に再現しにくい状況であり、例えば、被検者としてAさんとBさんを設定しても、その両者にひとめぼれが生じるか否かは、誰も予測ができない。ゆえに、どのように恋に落ちようとも、落ちなくても、まったくもって個人の内観に基づき、科学的にはその現象は立証しにくい。ただし、ひとめぼれ前の慨視感は内観しやすい。
 一方、科学的な立証とは関係なく、人はアダムとイブの存在の如く、雌雄異体として生物学的には区別される。その状況から古くからの認識として、ベターハーフなる言葉がある。それは、文献2)にもあるようにー天国でひとつだった魂は、この世に生れる時に男性と女性に分けられて別々に生まれてくることであり、人は生まれてからその別々に生まれてきた人を求めて、最良の伴侶を求める旅を永遠にしなけばならない。そこにロマンが生まれる。古のギリシア神話によれば、このベターハーフに対して、「(古来、)男女に分かれてはいなかった。人間は神々に対して不遜な態度を取り続けていたゆえに、ゼウスによって男女へと分けられてしまった。したがって人間が本来の姿を取り戻すために、みずからの片割れを探し求めるのは当然。完全なものへのこの欲望と追求に対して、恋という名がつけられている」3)とされている。これを拡大解釈すれば、恋ゆえのときめきは、個人の内観以上の存在性があったとしても、そこに量子論的な結びつきも何か存在する可能性も端から否定できないかもしれない(No.587も参照)。実はこのベターハーフの現象が、アーチストのShira-chanによってうまく図式化されている。これが実に分かりやすい。


 
図 Shira-chanによるベターハーフ4)

1) Zsok F, Haucke M, De Wit CY, & Barelds DPH. (2017). What kind of love is love at first sight? An empirical investigation. Personal Relationships, 17 NOV, DOI: 10.1111/pere.12218.
2) http://betterhalf.thirdstage.com/ (閲覧2018.1.2)
3) https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-platon-symposion/ (閲覧2018.1.2)
4) https://shira-chan.deviantart.com/art/Plato-s-Symposium-298480016 (閲覧2018.1.2)

 
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