No.60

題名:人への好意が生じる法則性とは何か?
報告者:ナンカイン

 人との出会いは自分の意図とは関係なく起こる。それは、とある街中でも、とある建物内でも、あるいはとある単純な相席などでも関係なく起こる。人が人として、この世の生きていて、様々な社会的な行動を営んでいるのであれば、それは当然である。逆に言えば、社会的には生きているという実感があるからこそ、そのような様々な出会いが人間関係としてもたらされ、それが人として生きることの存在証明ともなろう。しかしながら、その出会いの中でも、互いに明確な好意を生じる機会は、多いようで少ない。それは、互いをよく知らないがゆえに、その知らないという危険を回避するような生存本能的な意識が生じ、結局それが相手への無意識の警戒心となるからである。ここで、各人で人との出会いについて自問してもらいたい。その出会いを考えてみると、ある人との出会いにおいて好意を抱くか否かは、実は一定の法則性があることに気づく。実は好意を抱く際に、相手を理解したいと願う何かがそこにある。本報告書では、その何かについて深く考察したい。
 例えば、とある場所でとある人に出会ったとする。特に込み合った状況で、やむを得ず相席しなければいけない状況が生じたと仮定する。むろん見知らぬ相手であるため、相手との密着はない。ただし、パーソナルスペースで言えば、個体距離が意識でき、相手の表情が読み取れる空間に互いが位置する1)。この空間での人間関係が1対2の関係にあったとすると、2側はほぼ知り合いの関係のため、1側が2側を意識することは少ない。同様に2側も1側に対して意識を抱くこと少ない。それは2側ですでに社会的な関係性が成立している場合が多く、1側が2側に踏み込む状況が少ないからである。しかしながら、この場面が1対1の場合はどうなるであろうか。1対1の場合は、先の2側のようにまとまった社会的な共同体がない上に、1対2のように少数対大勢のような社会性が認められなくなる。このことから、1対1では互いに協力がなくしては社会的に各個体の生存があやうくなりやすい。その状況を回避すべく個々の関係が無意識から意識化されやすい。すなわち、互いの存在価値が必要と認めざるを得ない、好意的な初段階がここで成立する。
 次にその好意を確とする元に何があるかと言えば、ひとつは第一印象となる。その第一印象に関しては、相手への心象印象を決定づける因子ともなり、第一印象が相手へもたらす重要性は文献2)以外にも記載されている。ただし、本質的に受け入れがたい相手、第一印象がよしとなる条件から逸脱しやすいケースに関しては、それを覆すのは相当の時間を要する。言い換えれば、第一印象は相手に与える印象の重みがかなり高く、これをクリアしないと間違いなく相手への好意は生じない。ただし、その第一印象でわずかな心情の揺れ(ときめき)があると、そこから相手への印象をより好転させるきっかけが生じることがある。それが何であるかと言えば、相手との行動の同調性にあるのではないだろうか。例えば、ある人が話している内容に対してうなづくなどの同調性は、相手により好印象を与えるきかっけともなる。これがコミュニケーション上だけでなく、相手との行動パターンにも同調性が認められ、例えば相手がとった行動と似たような行動パターンが意識せずに生起し、かつ、それが頻回に起こったとしたら、互いにその行動を共感せざるを得ない。その共感によって、相手との親密性が如実に感じられ、相手に自然に好意を持つことになる。すなわち、相手を「好きかも知れない」と実感できる。それが相手をもっと知りたいというトリガー(願い)となる。それが互いに感じられると、両者間に=が生起する。これが忘れがたい好意(恋心)の始まりとなる。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/パーソナルスペース (閲覧2015.10.29)
2) http://matome.naver.jp/odai/2141640588247361301 (閲覧2015.10.29)

 
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