No.3025

題名:音楽の主客と客体について
報告者:ダレナン

 本報告書は、一般に純粋な鑑賞の対象として捉えられがちな「音楽」という現象について、認識論における「主体(聴取者)」と「客体(音響)」の不可分な相互作用から、その美的経験のメカニズムを論理的に考察するものである。

 我々は日常的に音楽を「聴く」という表現を用いるが、音楽とは決して外界に独立して存在する固定的なオブジェではない。現代の音響心理学において「音楽」と呼称される現象の正体は、物理的な空気振動(客体)と、それを知覚し解釈する人間の認知システム(主体)との間に生じる、「共鳴状態の継続」に他ならない。

 西洋哲学における伝統的なパラダイムは、世界を「観察する主体」と「観察される客体」へと二項対立的に分離してきた。視覚芸術においては、この分離は概ね成立する。しかし、この単線的な認知モデルを音楽という時間芸術に適用すると、途端に破綻をきたす強力な媒介変数が存在する。それが「不可逆な時間の共有」というプロトコルである。

 なぜ音楽において主客の境界が融解するのか。そのメカニズムは、聴覚皮質における「予測誤差の最小化」と「情動的フィードバックループの形成」によって説明できる。

 第一に、空間を満たす音響(客体)は、皮膚や鼓膜を物理的に振動させることで、主体である我々の身体内部へと直接的に侵入する。聴取された音は、脳内で次なる音の展開への期待(予測)を絶えず生成し、その予測が裏切られ、あるいは満たされる過程で情動が励起される。これは、客体が主体の認知プロセスを物理的かつ強制的に先導するという、極めて特異な主客逆転のアルゴリズムである。

 第二に、このプロセスが反復されることで強固な同調ループが形成される。展開される旋律(客体)のテンポやダイナミクスに、聴取者(主体)の心拍や呼吸、さらには脳波までもが引き込まれていく。つまり、外部の音響から得られた「律動の利子」が、次なる「内部の情動の元本」に組み入れられることで、まさに自己と世界の境界が消失する没入状態が発生するのである。

 逆に言えば、音楽を単なる外部のデータとして分析的に処理しようと試みる者は、この共鳴のネットワーク上の摩擦係数が高止まりし、情動の流入が阻害されるため、音楽本来が持つうねりから切り離された、極めて非効率的な「観察者」の人生を歩むこととなる。

 結論として、音楽を「聴く」という行為は、単なる受動的な感覚受容や娯楽の消費にとどまらない。それは、自己という閉じた主体を外部の音響客体へと開放し、両者が織りなす複雑系ネットワークを最適化するための、極めて合理的かつ根源的な意識の拡張戦略であると言えよう。

 
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