No.3

題名:抽象的な内容は論文として成立するのか?
報告者:ダレナン

はじめに
 論文は、一般的に明確な目的をもって、記述される。そこにあいまいさは存在しないはずである。しかしながら、目的を明確としない内容でも、それは論文として成立しているのか? といったあいまいな検討については、今までほとんど調べられていない。あいまいさは、ある意味、論文と呼ぶことができない、といった大前提があるからである。本論文は、あえて目的を持たないあいまいな記述が、はたして論文として成り立つものなのか? を考察する。

方法
 はじめにも既述したように、目的が明確でないため、明らかな方法もない。ただし、記述する上で、一定の条件を課している。それは、言語として成り立つこと、および、文面に文脈があることが条件となる。ここでは、記述している言語は日本語であり、文脈については、文法的にはあいまいな記述があったとしても、日本語として解釈できる範囲にあるはずである。少なくとも、これを読んでいる、あるいは、読める方は、これが銀河のはるかかなたにある星の言語であると見なすことはないであろう。

結果
 ここまで読み通すと、あいまいでありつつもあることが理解できる。すなわち、文を読むことが、まさしく本論文の一部であるとして意味があるのでは? と思い始めているに違いない。この違いこそが、本論文の結果にあたる。きっと一部の方は、あいまいであっても、実は論文として成立している? という思念にとらわれているに違いない。それを図に示す。

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考察
 本論文が、論文であるかは、最終的には読者が決めることになるであろう。しかしながら、あいまいであっても、言わば明確な目的がなくとも、読んでいくに従い、ここには明確な何かがあることを、論文として示せたはずである。このことから、あいまいさも十分に、科学の対象として見なしうることが可能である。すなわち、具体的な内容がなくとも、抽象的な内容であったとしても、十分に論文として成立させることが可能であることを提示できた。

 
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