題名:今日のお題は、「宇多田ヒカルの曲「忘却 featuring KOHH」の背景にあるもの Part2」
報告者: ダレナン
(No.2805の続き)
今日のお題は、「宇多田ヒカルの曲「忘却 featuring KOHH」の背景にあるもの Part2」
4. 「忘却」という行為の解釈
この曲では、「忘れること」が単なる逃避ではなく、「生き続けるための選択肢」のひとつとして提示されているように感じられます。
– 宇多田ヒカルの視点:忘れたいけれど、記憶は残り続ける
– KOHHの視点:忘れるも何も、現実は進み続ける
この二人の対話のような構成が、楽曲のテーマをさらに深みのあるものにしています。
結論:宇多田ヒカルがこの曲で伝えたかったこと
「忘却 featuring KOHH」は、単なる「失恋ソング」ではなく、「喪失と向き合うための方法」を探る楽曲だと言えます。忘れることはできなくても、それでも前に進むしかない。KOHHの冷徹なリアリズムと、宇多田ヒカルの詩的な哀愁が交わることで、聴く人それぞれに異なる意味を持つ楽曲になっているのではないでしょうか。
宇多田ヒカルが伝えたかったことは、「忘れることはできなくても、生きていくことはできる」という、生と死、記憶と忘却の間で揺れ動く人間の心情そのものなのかもしれません。
でも、まぁ、ChatGPTちゃんはうまいことまとめてくれてますが、ファンの方々にとってはこんな解説は今更でもないですよね。特に3.「宇多田ヒカル自身の人生とのリンク」は最重要な項目でもあります。
だから、一方で、日本の史も最近のニュースから「忘れることはできないが、時間が経てば風化するものもある」政策ばかりで、ほんと庶民はいやになっちゃいます。
確実に二極化が進んでいる昨今、僕は間違いなく底辺にいるわけで、何かにつけて税金・税金って搾取され、「いやもーね。現実世界は「搾取するものと、搾取されるもの」に完全にわかれつつ、僕は「搾取されるもの」への道を歩んでおります。
だからこそ、KOHHの「忘れるも何も、人生は続いていくし、死んだらすべて終わり」というメッセージに「僕は〇んでしまってええんじゃないの、少なくとも〇んだらお金は減ることないし」、って時々思っちゃいます。かつて自分でも申しましたが、
僕:「生きているだけで無駄ずかい」
って思います。
それでも漢字変換では「無駄図解」って出ることから、ここでの文章自体が図解となれば、それはそれで、社会に問えたのだろうか?(笑)。