No.2782

題名:今日のお題は、「青いプールの向こうに」
報告者:ダレナン

(No.2781の続き)
 夏の午後、僕は友達の家へと向かっていた。幼い頃からの友人・涼太の家は、このあたりでも有名な豪邸だった。白い門をくぐり、整えられた庭を通ると、すぐに広いプールが見えた。涼太はよく僕をこの家に誘い、二人で夢中になって泳いだ。
 けれど、その日、僕の胸を締めつけたのは、プールでも、涼太の楽しげな笑顔でもなかった。
 初めて彼の母親を見た瞬間、僕は息をのんだ。
 涼太の母親は、白いワンピースを風になびかせながら、プールサイドのデッキチェアに腰掛けていた。長い髪を無造作に結い、サングラス越しにこちらを見つめる。まるで映画のワンシーンのようだった。
 「いらっしゃい、航平くん」
  柔らかく微笑む彼女の声は、僕の心に深く響いた。
 「こんにちは…」
 僕はうまく言葉が出てこず、ぎこちなく頭を下げた。涼太はそんな僕の様子には気づかず、「早く泳ごうぜ!」と無邪気に腕を引っ張った。
 プールに飛び込んでも、僕の頭の中には彼女の姿が焼きついたままだった。涼太とふざけあって水しぶきを上げながらも、ふと視線を向けると、彼女が静かに本を読んでいるのが見えた。陽射しが彼女の白い肌を輝かせる。
 その日から、僕は涼太の家に行くたび、密かに彼女の姿を探した。
 彼女はいつも上品で、どこか儚げな雰囲気をまとっていた。ふとした瞬間に遠くを見つめる横顔が、なぜか寂しげに見えて、僕は無性に心を掻き乱された。
 ある日、涼太が家の中へ戻ったとき、僕はプールサイドに座っていた彼女のそばに立っていた。
 「泳がないの?」 彼女が微笑む。僕は小さく首を振ると、思いきって聞いた。
 「涼太のお母さんは、いつも寂しそうに見えます」
 彼女は驚いたように僕を見つめた。
 「そう見える?」
  僕は頷いた。彼女は少し考えてから、小さく息を吐いた。
 「大人になるとね、楽しいことだけじゃなくて、色んなことを考えなきゃいけなくなるの。でも…」
 彼女は僕の方を見て、優しく微笑んだ。
 「航平くんがそう言ってくれたの、なんだか嬉しいわ」
 胸が熱くなった。何か言いたかった。でも言葉にできない。
 涼太が戻ってきて、また僕らはいつものように遊び始めた。でも、僕の心の奥底では、夏の陽射しよりも眩しい感情が静かに揺れていた。
 その夏、僕は初めて「恋」というものを知ったのかもしれない。
 でも、それは決して叶うことのない恋だった。
 青いプールの水面に映る彼女の横顔を、僕はそっと見つめるだけだった。
 そして、やがて夏は終わった。

今日のお題は、「青いプールの向こうに」

 
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