題名:今日のお題は、「まり子の笑顔」
報告者:ダレナン
(No.2669の続き)
大学時代のある夏の日、卓也の運転する車に揺られながら、僕たちは滝を目指していた。助手席には卓也の彼女の優実が座り、その後部座席には僕と、優実の友人のまり子が並んでいた。
窓の外を流れる景色を眺めながらも、僕の心はどこか重かった。当時、僕は優実に淡い想いを抱いていた。けれど、それを口にすることもなく、ただ友人の恋人という距離の中で、心の奥にしまい込んでいた。そんな優実が隣に座る卓也に笑顔を向けるたびに、僕の胸はちくりと痛んだ。
まり子のことは、正直に言えば、特に意識したことはなかった。彼女は明るくてよく笑い、優実とはまた違った魅力を持っていることは分かっていたけれど、僕にとってはただの「友人の友人」だった。
目的地に着くと、滝の音が遠くから響いてきた。深い森を抜け、ようやくその姿を目にしたとき、僕は思わず息をのんだ。滝の水しぶきが陽光を受けてきらきらと輝き、ひんやりとした風が肌を撫でていく。そんな中、まり子が滝を背景に写真を撮ってほしいと言ってきた。
僕はカメラを構え、レンズ越しに彼女を見た。
その瞬間だった。
滝の水しぶきを浴びながら、まり子は少しはにかんだ笑顔を僕に向けた。長い髪が風に揺れ、その瞳は眩しいほどに澄んでいた。レンズ越しに彼女を見つめるうちに、僕の心の奥で何かがはじけた。
――僕は、この笑顔が好きだ。
気づいてしまった。僕が本当に惹かれていたのは、優実ではなく、まり子だったのだ。
シャッターを切る手が震えた。どうして今まで気づかなかったんだろう。こんなにも眩しい笑顔を、こんなにも心が動かされる存在を、すぐそばにいたのに。
その帰り道、車の中でまり子は何気なく僕に話しかけた。
「写真、ちゃんと撮れてた?」
その声に、僕はぎこちなく頷くしかなかった。
あの日の滝のように、僕の心にも大きな流れが生まれた。もう元には戻れないと分かっていた。でも、その流れに身を任せることが、きっと僕の本当の気持ちに正直になることなんだと思った。
まり子の笑顔を、僕はずっと忘れられなかった。
今日のお題は、「まり子の笑顔」