No.2611

題名:今日のお題は、「ソウルメイト:前世に逢えた確証なく、後世でも確証はない」
報告者:ダレナン

(No.2610の続き)
 そして最近、その寝落ちは映画見ての寝落ちは、冥途へのいざないなのかもしれないとも思うようになりました。まぁ、自分が53才という年齢もありますが、昭和時代の名優が次々となくなり、そして身内の人もなくなり、自分の体も思うようにいかなくなり、

僕:「これはもう、僕も近いぞ」

と改まることがここ最近多くなったからかもしれません。
 みなみなさまにもそんな想いはございますでしょうか。
 まっ、たぶん、同じくらいの僕と年齢±5年の人はそんな同じ想いがあるかと思います。
 そこで僕はここで重いの丈をよこおらっしょと持ち上げ、漢字がちがっておろうが言葉がちがっておろうが、文章を邁進して重い腰をあげてキーボーディングで突っ込んでおるわけです。そしてまたね、

僕:「なんである年以上になると、映画や音楽での感動が薄れるのだろうか?」

と思いますねー。まぁ感受信がなくなるわけではありません。まさに薄れるのです。だから記憶に残っているのは結局のところ濃いのばかりです。いや恋のばかりかもしれません。愛しいあの人はもういない。
 西田敏行さんも先日になくなりました。アラン・ドロンさんもなくなりました。僕の中での名スターが次々となくなり、その方々が出演していたいい映画も、やがて風化する。記憶ともに。自分の記憶の果ては時代とともに。
 ほんと寂しいというよりも、なぜか時代の流れがはやくすぎて、妻の成美と手をつないでしあわせに浸っていたあの時間もだんだんと薄れていくわけです。
 でも、何かが残り何かが失われる。僕という存在がなくなれば、僕の中の記憶も失われる。たとえ、それがアカシックレコードに記憶されようとも、次に再生されるときは、もはや時代が変わっている。
 次の時代に妻の成美に逢ったとしても、前世の記憶はすっかりと忘れている。

僕:「だからソウルメイトに再び会えるのだろうか」

と思う。僕自身は妻の成美とはソウルメイトだと信じている。
 だからといって前世に逢えた確証もなく、後世でも逢える確証もない。今日のお題は、「ソウルメイト:前世に逢えた確証なく、後世でも確証はない」。

僕:「我ながらいい題名だ」   でも、やっぱ記憶の断片にでもその確証があれば、本当は安心できるんだぜ、宇宙人神さまーん(笑)。

 
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