題名:今日のお題は、「幸か不幸か僕は人間に生まれた。」
報告者:ダレナン
(No.2529の続き)
人間に生まれていないなら愛なんて必要ない。
僕にとっての理想は深海の貝だ。
海の底深くに潜み邪魔されずに、まっ時には深海魚にやられるかもしれないが、海の底の底はひんやりしていつもシーンとしている。そんな感じ。だから、海の底の貝として生まれていれば妻の成美とも出逢うことはなかっただろう。貝に愛もいらない。いるのは星三つのシェフからの愛だけ。そう思えた。
でも、幸か不幸か僕は人間に生まれた。それは誰が決めたんだろうか? 今日のお題は、「幸か不幸か僕は人間に生まれた。」
僕の創造主:宇宙人神さまーんだろうか?
宇宙人神さまーん:(でも、ほんとうにええのか? にんげんじゃのーても)
そう問われた気がした。でも、貝だとこの文書はかけてない。活けられても高級料理にはならないかもしれない。だから、そう。人間に生まれたからには意味があるはずだ。ドイツ強制収容所の体験記録を綴ったV.E.フランクルは生きる意味についてみすず書房の「夜と霧」の中でこういった。
V.E.フランクルリ:「みすず書房ってなかなかムズイ本をうまく出版するよな。なんかこう学術的っていうかアカデミックっていうか。…学術的とアカデミックって同じ意味やん。いや~すまんすまん」
こっちはフランクルリだ(笑)。だから、本当にV.E.フランクルの言葉を知りたい方はみすず書房の「夜と霧」を購入して読んでちょ。でも、旧版と新版のどちらがいいのかは、お任せしたい。新版を訳した池田香代子さんによれば、
「改訳、厳粛な作業 『夜と霧』は、ご存じのとおり、霜山徳爾氏の名訳で1956年に出版され、いまなお脈々と読み継がれている名著です。私も高校に入ってすぐ読み、魂をゆさぶられる思いをしました。
そんな特別な本を訳し直さないか、とのお話に、とんでもない、と私は何カ月も逃げまわりました。けれど最後には、いまの高校生に読んでもらいたい、という編集者の熱意に折れました。」(1)
とのことです。旧版を訳した霜山徳爾さんはもう亡くなられていますがすげー経歴の方です(2)。なのでみすず書房には今でも2種類の「夜と霧」があるのです(3)。
(1)https://www.amazon.co.jp/dp/4622039702/
(2)https://ja.wikipedia.org/wiki/霜山徳爾
(3)https://www.msz.co.jp/topics/archives/shimoyama.html