No.2260

題名:今日のお題は、「南国の海のような爽やかな毎日」
報告者:ダレナン

(No.2259の続き)
 お尻は二つに割れています。ただし、九が中にあります。かつて”ぢ”で悩んだものとしては、この九は苦しみの九にも相当します。だからといってみなさまが”ぢ”であるといっているわけではありません。ヒサヤ大黒堂もそのように申しております。
 でも、ヒサヤ大黒堂の第二類医薬品不思議膏によって、南国の海のような爽やかさが生じることもしばしばです。沖縄県の船越佳子様は、不思議膏によって生薬の力を得て、今では南国の海のような爽やかな毎日を送っているのも事実です(1)。今日のお題は、「南国の海のような爽やかな毎日」にしたいと思います。
 南国の海。それはまるで「青い珊瑚礁」のような感じ、はたまた「ブルーラグーン」といった感じでしょうか。
 船越佳子様はさしずめブルック・シールズはたまたミラ・ジョヴォヴィッチのようにもみえます。
 みなさまは尻が九である理由を尻えましたでしょうか?

 とここで、である、から、ですますの方が人に伝える文章としてよいのでは、と思い始めております。そのため、しばらくは、ですますでのお送りしたいと思いますが、いかがでしょうか。
 確かにですますのほうが丁寧なように思います。文章をお届けするといった感が強くなるからでしょうか。

 でも、ですますだとお届けることが強くなり、どうしても自分の執筆したいことを中心にして自分らしさを出す、ということが難しくなります。なんだか媚びっているようにも思えるのです。
 「文章には自分らしさはいらない」。特に人に読んでもらうには自分らしさではなく相手のことを考えて執筆する。それが大事だと思います。
 ただしです。別に芸術家ではありませんが、絵画、彫刻、オブジェ、その他諸々の作品を創っている、まさに作っているのではなく、創っている方々は、売れようが、売れまいが、自分の作品を創ることに精進しています。そして自らの深淵を眺め、そこに触れ、その思想を形にして表出します。
 それが芸術的な作品として価値を生み出します。
 でも、文章はどうでしょうか?
 こう書けば相手に響きます。こう書けば読んでもらえます。大事なのはわかってはいるものの、媚びってるんでないかい。それって、「へいへい、すんませんです。どうかこれでよろしぅおさめていただけますでしょうか。へへっ」っという町商人の姿が目に浮かぶにゃで。
 なので、悩んでまうんや。ですますがええのやろか、それともテキトーでええのやろか。
 読んでもらいたいなら、ですますですが、別にそんなんどーでもええやんと思いつつも、

「それじゃぁ日記でええやん?」

(1) https://www.hisayadaikokudo.com/products/fushigikou.html

 
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