No.2165

題名:権力の盲信
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.2164の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 それにしても、舞衣子の口からフェデリコ・フェリーニの名が出るとは意外だった。もうそこまで映画を見込んでいるのかと思うと、嬉しくも悔しくも感じもした。
 彼女は思った以上に映画に浸透し、そして何かを得始めている。今晩、こっそりと舞衣子の映画レビューと思しきブログを探ろう。きっとフェデリコ・フェリーニについても言及してあるに違いない。でも…、

平十郎:「僕はさっき、何か言ったかな?」

自分が発した言葉に何かあったのだろうか? 自分ではよく覚えていない。舞衣子に確認した。

舞衣子:「いけにえが、どうとかこうとか…って言っててちょっとびっくりした」

という返事が返ってきた。いけにえ…? 僕には身に覚えがない。現実的に考えると、いけにえになったことはない…昔の記憶では…でも、そう思えば、イベント会社時代の社畜状態は、ある種、僕はいけにえかもしれない。”僕の”話をすれば、そう言うことになる。

 かなり追い込まれて、あの時は、そう、いけにえ状態だった。
 いけにえだった。

 人はひとたび権力を握ると、宇宙は自分が思うがままに進行すると思い始める。思うがままに進行しなければ、いけにえを天に差し出す。そうすれば、いけにえ効果で宇宙の運行が自分の思うがままに軌道修正されるものだと思い込んでいる。これは権力の盲信だ。
 が、そこにはからくりがある。

 権力は得たものではなく、天から与えられたもの。
 大事なのは権力の背景にある権威だ。
 権力を行使する者は権威がなければならない。
 それを忘れると、天罰が下る。

 イベント会社はもろくもつぶれた。まさしく社の上司には権威がなかったからだ。権威なきところの力の行使は、ただの暴力。いくら僕といういけにえを差し出したところで、世相はそれを認めなかった。イベント会社がつぶれた時、僕は神が味方してくれたと不思議なまでに信じられた。神は味方してくれている。
 僕には非がない。僕は弱い。でも、僕はいつでも誠実に生きている。それは、つもりでも、一応でもない。それがない僕は、僕じゃなくなるからだ。

 
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