No.2089

題名:先代の域に
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.2088の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 店の奥の厨房からガーリック(アーリオ)の匂いと良質なオリーブオイル(オーリオ)の香りがした。
 頼んだのはアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。
 パスタも私の好みにあわせてもらい若干太めで、出来上がった皿には乳化したわずかばかりの汁と太めのパスタがほどよくからんでいた。フォークを手に取り、パスタをすくい、口に入れる。実にイタリアン・パセリのフレッシュさと唐辛子(ペペロン)の辛味が絶妙にブレンドしている。これぞ先代から受け継いだ表メニューにはない私好みの一品だった。
「いかがですか。花見様」
 鍋島シェフが尋ねてきた。「それはもういつも通り絶品だよ」と私は答えた。
 その後、シェフと他愛もない話をした。ただ、時間が経っても随分と店の中は閑散としたままだった。シェフともこんなに長い時間話をしたのは、久しぶりかもしれない。聞くところによると、なんでもここ最近は客の入りも新型コロナウイルスのせいでめっきり少なくなり、店に来る人のほとんどは私のように馴染みの客だけだという。
 見渡すと私の他にすでに1人しか店内にはいなかった。以前のこの時間帯なら、店内はほぼ満席のはずだったはずだが、鍋島シェフも今のこの事態にはなすすべがないようだった。
「実はこの店をたたもうと思っているのです」
 私は彼のその唐突な言葉に耳を疑った。が、詳しく鍋島シェフに話を聞くと、ここのところ売上がかなり落ち、地代を維持するのも苦しい経営状態らしかった。そこで、彼自身考えに考え、郊外に簡素な小さな店を構えること鞍替えし、先代から築いたこの店は思い切って処分するらしかった。
「そうなのか…」
「先代からご贔屓にして頂いてる花見様に、このようなことを告げるのはとても心苦しいのですが…、苦渋の選択でした」
 それから私達は5年前に他界した先代の話をしつつ、思い出話に浸った。
 私は、何度も先代の域に達していないアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノに対して、若い鍋島シェフを叱咤することもあった。先代も私の味覚を信じ、何度も彼(若い鍋島シェフ)のご意見役を買われたことがあったな、そういえば。

 鍋島シェフに別れを告げ、そして足早に帰宅しようとすると、急にかりんとうのことを思い出した。

 (そうそう黒いのを買って帰らねば…)

 普段の買い物ではAudiを使うことはなく、スライドドアのある小さな国産車を利用するが、今日ばかりはスーパーの駐車場にいささか似合っていないAudiをそこに止め、かりんとうを求めに店内に入った。

 
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