No.2079

題名:パイプユニッシュでするっとした文体
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.2078の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 ここで先を読むと、完全に文章を執筆する上での自分の悪い癖が出ていることに気づいた。
 文の鯛となる文体として、海に泳ぐが如く文体の大事な点が3つある。
 ①情景描写、②心理描写、③会話(セリフ)である。
 この3つがうまくブレンドされ、しかも文体の運びにリズムがあれば、読み側は自ずとそのストーリーに惹きつけられやすい。
 その内容がどうであれ、読みやすいはやはり正義なのだ。どんなに文芸家を気取ったところで、ほれ嫁、俺の文はすごい文芸的だろと気取ったところで、気取った読みにくい文体は、読みにくくくく、おまけにもう一つ苦で、泳いではいない。とどのつまり、とどなのであって、それはトドではないがトド功利のある、魚屋の店前で見せ締める氷の上で鎮座する死んだ鯛の如しなのだ。
 つまりは、彼・彼女はもはや海の中には泳いではいない。
 したがって、水族館よりも、読む気がしない。
 それが文体の大事なところ。
 それを村上春樹さんのエッセイか何かで知った。それを知ってから読むと確かにそうだった。例え、新たな作品が出版され、それが難と言われようとも、なんとなくそれは、裏表一体皆ファンなのだ。
 だからこそ怪訝するのは、特に日本語表現の乏しい僕のようなものが怪訝するのが読みにくい文体である。そして、つまるところ、排水がつまろうとも、パイプユニッシュでするっとした文体は、内容がどうであれ、読むことがするっとなる。でも、ここでもう一つ大事なのが、読みやすい上に、物語が複雑でかつ巧妙な連鎖を帯びていることであろうか。
 それが最も魅力ある文体であることをこちらも村上春樹さんから教わった。
 何だそういうことか。僕が文芸作品を読めないのは、読めないからであって、読みたいとは思えないからなのだ(いや、単に文章を読むことを苦痛に感じているからじゃないの…)。
 そう。そういう意見はわかっている。
 だが、先の3つをうまくブレンドして、リズミカルな文体を生み出すのは容易ではない。
 ただ、自分が執筆した文体からいえば、あまり考えることなくスムーズに書いたものは、前後の文の意味が繋がりやすく、しかも推考でも、さほど推敲しないでも理解できる。それは、まさに、水さえ管理すれば芽が出る容易な水耕栽培のようでもある。だからといって、水耕栽培が容易という用意された考えではなく、そこに必要なのは、水と養分との比率となる。
 これが簡単でも難しい。
 しかし、一旦、芽が出るとその水と養分の比率はその植物にとってふさわしく、実にすくすくと生長する。まっ、つも、(る)と、(ころ)、生長、というわけだ。松本清張さんの文体は知らずとも、ここで記述できる極意でもあろうか。
 日本沈没、読んだことないです。正直にいえば。

 
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