No.2033

題名:「僕はここに居る」
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.2032の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 羽田からワルシャワまでは、途中イスタンブール空港を経て乗り継ぎがあるため、そのフライトの正味の時間は、おおよそ27時間だった。すなわち、まる一日以上は飛行機内と空港内で過ごすことになる。僕には、その時間でもって、ゆっくりと考える時間が与えられたような気がしていた。

 ”なぞかけ(仮)”は、リトルの黄泉がえりなのだろうか、それとも、それは僕の妄信なのだろうか。祖母トミヨと祖父ヤナチェクは、当時ワルシャワでどんなふうに過ごしたのだろうか。亡くなった父は、その当時の祖母と祖父のことをよく見聞きしていたのだろうか。いろいろなことが走馬灯のように思い出された。
 僕は、随分と忘れていた。
 わたしになると僕の時代はすっかりと頭から消え、かつての希望はなく、世の中は恐怖で蔓延していると感じる。それを実感した時に、人は成長を止め、この世の中が専制君主で成り立っていることに次第に気づきはじめる。と同時に、大事なものを見失う。
 結局、誰かは、誰かを支配したいのだろうか。
 自分一人はどうしようもなく小さな存在で、でも、社会という枠組みでは周りから責め立てられる恐怖に躍らされ、それが間違っていたとしてもそれが普通であるかのように遂行・実行してしまう。
ゲツベさんも、本当は悪い人ではなかったのかもしれない。それでも、彼は、あのネコ、トラーによって踊らされ、リトルを迫害し、残害させられることに異様なほどの満足を覚えていた。
 それが、恐怖に躍らされ、麻痺した社会。
 その時、人は、僕ではなく、わたしとなる。僕と君ではなく、わたしとあなたとなる。その両者に存在する壁は、かつてのベルリンの壁のように、何かを分断する。乗り越えられるのに、乗り越えられない大きな心の壁がある。
 国境だけではない。それは人の人、社会と社会の間にある、’きずな’、を分断するんだ。きっと、そうだ。

 ふとポケットの中の祖父トミヨの写真を見た。祖父ヤナチェクと出逢ったころだろう、その二人が一緒に写っている祖母はとても幸せそうに見えた。この時、祖母はすでに、父イサクの存在をお腹の中から感じていたに違いない。それこそが、’きずな’、なんだ。だから、僕はここに居る。
 「僕はここに居る」
 つい独り声が出てしまった。横の人がじろりと僕の方を見た。その方に「すみません」と会釈し、窓の外に目を移した。僕は奥の雲に祖母がいる気配を感じていた(図)。

図 窓の外1)

1) https://www.pinterest.jp/pin/42221315227603892/ (閲覧2021.5.13)

 
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