No.2030

題名:ヂャケットの
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.2029の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 時折、こう思う。それは、ここまで来たのは、僕でもなくわたしでもなく、いったい僕わたしは誰なんだろうか。言うなれば、先の「農協牛乳だった。」という括りで誰が喜ぶのだろうか。
 タモリさんか、それとも安斎さんか。
 僕は、タモリさんも安斎さんも、とてつもなく大好きだ。その存在は、僕の、青春だ。
 でも時折思う。それは僕でもありわたしでもある現在進行形の自分の姿を映しているのだろうか。でも、僕の死んの、死んだ後の、真の姿はどこにあろうのか。
 今、暫定的な僕は、YouTubeでもってNo Ordinary Loveを聞きながら、SADEしている。
 SADEは、僕の、青春の、人だった。
 あこがれの人だった。あこがれの人だった。
 ヂャケットのかっこよさにしびれ、僕は、SADEに限りなく恋した。
 うん、そうだ。僕はその時から、まったく変わっていない。
 でも、年齢とともに、勝手に僕の周りが変わってゆくんだ。
 それは、僕が望んでいなくとも、周りが、勝手に、変わってゆくんだ。
 すなわち、SADEを青春とする人は、今も恋する人は、一部の、ごく一部の、ごく一部の限られた時代の人なのだ。たぶん。
 そう思いながら、文をしたためると、自分の文章の国語能力が暴かれる。

 誰かに訴えたい訳でない。
 でも、誰かに訴えたい気持ちはある。
 でも、訴える能力はない。
 それが僕の国語能力の限界であり、始まりだった。

 そんなのは知っている。でも、「お祖母ちゃん、僕はこれで限界なの?」。その言葉の投げかけに、祖母トミヨは「ミチオ、わたくしはただ、ヤナチェクに逢わせてほしいだけなの」と告げてくれた。
 僕は、祖母の告知にただ「うん、分かってる」と答えた。祖母は笑顔で答えている。そんな気がした。僕は祖父ヤナチェクに祖国で逢うことが自分の使命である。そう思えた。
 シリアルを食べながら、僕はあの時の青春、祖父と祖母の青春の時を巻き戻すことにした。早々に食事をかたづけ、エザワさんにしばらく留守にすることを告げた。そして、僕は空港(図)に向かった。祖母の写真を携えて。

図 空港1)

1) https://www.pinterest.jp/pin/689684130432949930/ (閲覧2021.4.29)

 
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