No.2004

題名:祖父と交信
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.2003の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

… ワルシャワで開催された第3回のショパン国際ピアノコンクールの時のことを覚えていますか。もちろん覚えていますよね。僕がトミヨさんに告白した後に、僕とトミヨさんの初めての正式な交際のきっかけでもあったあのコンサートです。
 1位のヤコフ・ザークの演奏は素晴らしかったのですが、15位に入選した日本の原智恵子さんの演奏にも感激しました。結果で会場は一時騒然となりましたが、その演奏の時、君の瞳から流れ出た涙が、今でも忘れられません。たぶん同国の女性であり、ともに異国で苦境を乗り越えてきたという、トミヨさんのその時の気持ちが痛いほど僕には理解できました。
 僕もユダヤ人として、祖父・祖母はもとより曾祖父・曾祖母の時代から異国からいろいろと流れて、ようやく祖父母の時代にポーランドに居を構えることができました。家系的にも異国での苦境は肌で身に染みていましたから、僕もトミヨさんに負けじと、その時、非常に感激したのを覚えています。
 そうだ、もしこの今の状況が収まれば、僕はトミヨさんとイサクの居る日本を訪れてみようと思います。そして、できれば、僕は、日本の子供たちに異国の歴史や言葉について教えてみたい、そんな風に今、感じています。トミヨさんもきっと僕と同じ思いだろうと思います。
 お体にお気をつけて。また連絡します。

ヤナチェク・トーベ・ブロンスキー

 幸いなことに、すでに亡くなった父イサクは、ポーランド史の学者であった。祖母も当時の女性としてはかなり珍しいくらいに英語が流ちょうに話せるとともに、学者の父ほどではなかったが、祖父の影響でイディッシュ語も簡単な読み書きはマスターしていた。その2人のおかげもあって、祖父ヤナチェクからの手紙がイディッシュ語であっても、ある程度はわたしにも読解できた。だから、祖父からの手紙が、53-18-46という暗号とは見えずに、なんとなくでも文意も理解できた。それでも、時代の違いもあり、手紙もかなり古いこともあって、読み進めることが難しかった。でも、そこにある手紙の息吹は、わたしにも感じられた。その手紙を通じて、わたしは今、時代を超えて祖父と交信している。祖母の言霊が再び頭の中に響いた。
(祖父ヤナチェク・トーベ・ブロンスキーのその後の足取りをたどってほしいの…。ミチオ、わたくしからのお願い)
 その後、何通かを見てみた。時には絵葉書(図)も入っていることがあった。そして、どれも、これも、祖父と祖母との想い出がそこには詰まっていた。

図 絵葉書1)

1) https://www.pinterest.jp/pin/363243526176074654/ (閲覧2021.3.24)
参考:https://pl.wikipedia.org/wiki/III_Mi%C4%99dzynarodowy_Konkurs_Pianistyczny_im._Fryderyka_Chopina (閲覧2021.3.24) https://ja.wikipedia.org/wiki/原智恵子(閲覧2021.3.24)

 
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