No.1999

題名:祖母の部屋
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.1998の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 そのしいんとした中、わたしは祖母の声を聞いたことで、何かが明らかになってきつつあった。祖母がわたしに伝えたその絵には何かがある。その絵はこの家のどこにあるのだろうか?

 異国人の子として、周りから奇異の目で見られがちな幼い頃の父イサクのこともあり、祖母は、祖父ヤナチェクを探しにポーランドへ行った後、帰国すると、本家のあった土地をすべて引き払い、転用し、別荘をそのまま住みかとして住居を移った。その土地が都内の一等地にあったことから、借地料も月々入り、わたしたちは特に働かなくとも生活が十分にできた。さらには、曾祖父のおかげで恩給もあり、その後も生活費には困ることはなかった。
 父イサクと母ヨリコは、わたしが15歳の時に交通事故でこの世を去った。そこからは、わたしと祖母だけの生活となった。わたしは義務教育も終え、わたしと祖母は山の奥にあったその家で、近所ともあまり接触することなく、隠棲な日々を送っていた。
 その祖母も5年前に他界し、この大きな別荘で、曾祖父の時代のかつては、3人の女中も住み込んで働いていたこの別荘で、わたしはひきこもる生活を続けていた。

 25歳。
 わたしは、ちょうど祖父が亡くなった年齢に差し掛かっていた。

 (ミチオの祖父のヤナチェクからもらったわたくしの大事な絵なのよ)
 祖母の声が耳元でこだましていた。

 祖母の部屋に行ってみた。扉を開けると、ぎぃぃ、と経年変化を感じさせる音がした。この部屋の扉を開けたのは久しぶりかもしれない。部屋の中の椅子に、祖母が座っているかのような錯覚がした。
 ヨーロッパの調度品で飾られた祖母の部屋は、祖母が日本人であることを忘れさせる。祖母は、ずっと祖父ヤナチェク・トーベ・ブロンスキーとともに一緒に暮らしているかのようだった。電気をつけると、テーブルにはイディッシュ語の本が、そしてベッドわきに2つの絵が見えた(図)。でも、その絵は両方とも、Duchesse de Bourgogneのものと異なっていた。あの絵は一体どこにあるのだろうか?

図 部屋1)

1) https://www.pinterest.fr/pin/573505333791308402/ (閲覧2021.3.19)

 
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