No.1995

題名:脳裏のイマージュ
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.1994の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 祈った。それでもむなしく、ヤナチェク(わたしの祖父:ヤナチェク・トーベ・ブロンスキー)は、ガス室で命を絶つこととなった(図)。ここで自家製といえども寝具の中にこもった我がガス(放屁)は、当時の祖父の気持ちとシンクロするかのように、わたしに対して何かの決意を奮い立たせていた。
 これではいけない。
 睡眠虫が騒ぎ始め、わたしには忘れてはいけない過去があったことを、祖母(キザワ・トミヨ)がしたためていた手紙の内容も、REM睡眠虫により脳裏のイマージュとして浮かび上がることで、それをはっきりと感じていた。

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愛しいヤナチェクへ

 あなたに逢えなくてすでに一年以上経ちましたが、その後はいかがでしょうか。
 あなたの子であるイサクはついに一歳になりましたよ。最近ではよちよちながらも歩けるようにまで成長しました。一刻も早く、あなたにその姿を見せてあげたい。そして、わたくしも、あなたに逢いたい、そう思う日々が続いています。
 大日本帝国は日増しに戦争の色が濃くなり、先ごろ満州でも大きな事件があって、このままではソ連軍やアメリカ軍と開戦を始めるような状況です。ヤナチェクが住むポーランドの情勢はいかがでしょうか。この前、ドイツ軍があなたの住むワルシャワへも侵攻したとのうわさも耳にしたのですが、あなたの身持ちをとても心配しています。
 近頃、イサクは異国の子、敵国の子だ、とのことであまり近隣からの風当たりもよくなく、最近は山中の別邸に引きこもるような生活が続いています。
 幸いなことに、父(わたしの曾祖父)が大日本帝国陸軍の中でも立場があることから、大事には至ってはいないのですが、それでも時折、「お国のために異国の子は処罰すべき」、とのビラが庭に舞い込んでくることがあり、恐ろしくてなりません。
 ヴィスワ川のほとりであなたと一緒に歩いた日々がとても懐かしく思います。早くあの日のような幸せな日々がまた訪れることを願って、あなたに逢える日を楽しみにして、イサクとともに毎日のように首を長くして待っています。今では、わたくしもイサクも随分と首が長くなりましたよ。
 伝えたいことが山ほどありますが、最近は手紙の検閲も厳しくなり、あまり長い文面はしたためることができませんので、この辺で筆をおこうかと思います。ヤナチェク、一日も早くあなたに逢いたい。

キザワ・ブロンスキー・トミヨより

1) https://www.pinterest.jp/pin/612348880585013198/ (閲覧2021.3.15)

 
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