No.1994

題名:祈った。
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.1993の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 僕はりどるとともに電流スピナーで時間を遡っている間、わたしは寝具というガス室の中で、祖父の当時を追体験していた。ガス抜きしたのも関わらず、自らの自家製ガスの噴出が止まらず、どんどんと寝具の中でその濃度が増していた。

「君の名前は?」
「ヤナチェク・トーベ・ブロンスキーです」
「出身は?」
「ポーランドのワルシャワです」
 SS(ナチス親衛隊)の医師は、祖父ヤナチェクの体を入念に検査した。そして、瞼を押し下げると片目に異常があることを発見した。
「君の片目はほとんど見えてはいない。そうだな」
「はい」
 ヤナチェクは正直に答えた。その後、医師から耳打ちされたSSの将校は、君の部屋はこちらだといい、右側の部屋を指した。そっちがガス室に送り込まれる人たちの部屋だった。左は労働者の部屋だった。いずれにせよ、ここで死ぬか、ここで死ぬまで働かされるか、のどちらか、だった。
 ヤナチェクは部屋の中で服を脱ぐように言われた。今からシラミを取り除くためにシャワーを浴びるのだと言われた。ヤナチェクは服を脱ぎ、壁にかけ、裸になると大きな部屋へと移動を指示された。鉄の扉が閉まり、ガチャンと鍵がかけられた。皆不安そうにしている。しばらくすると天井から水ではなく、煙が降りかかってきた。のどの奥に激しい痛みがして、急にせき込んだ。これはナチスの罠だ。ヤナチェクは、それが毒ガスであることに気づいた。
 ヤナチェクは祈った。そして妻(わたしの祖母である)キザワ・ブロンスキー・トミヨに祈った。そして息子のブロンスキー・イサクのことを思い出した。イサクは今、1歳だった。トミヨからの最も新しい手紙(実際には1年以上も前の手紙だったが)には歩けるようになったと書かれていた。トミヨとイサクに何としてでも逢いたかった。
 それでも、次第に意識が薄れていく。周りの人がバタバタと倒れるのがヤナチェクには見えた。
 でも、彼にはどうすることもできなかった。
 ぼんやりとして、かつてイサクを抱いているトミヨの姿を頭の中に想い描いた(図)。
 (もう逢えないんだ…トミヨとイサクには、もう二度と…)

図 ©Nguyen Thanh Binh1)

1) https://www.pinterest.jp/pin/12807180172085549/ (閲覧2021.3.15)

 
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