No.1968

題名:川のあちら側と川のこちら側
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.1967の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 気づいたのだ。
 網膜に記録した何かとは、実は、貧そで、浅はかなまぼろしだったことに。そうだ、何かの文章で読んだことある。その出典は思い出せない。でも、こんな内容だったはず。
 「いわゆる偉大な小説家であっても、芸術家であっても、底にあるのは5つぐらいのアイデアで、それを手変え品替えて記述、表現している」と。すると、こういうことが言えようか。
 ここしばらく長めの文章をしたため、その枚数はほとんど100ほどである。100書きゃー結構ええボリュームやん的な感じで、何とかしたためてきた。その長めの文章がすでに6つ存在している。以下がそうだ。

 1. 匂いたつカレーなる愛の幻想:ターメリック扁
 2. 巡るめく永遠なる愛のバン、ボンデージ
 3. 登攀する愛のBlack Diamond:初恋の章
 4. おっちゃんせいからただようかれいしゅうのゆめのなかで…
 5. 未成熟のラクダ
 6. どちらがタマゴで、どちらがヒヨコだろうか?

 このうち、1~4はすべてにほぼ画像がある。なんでも書いてる側の意識としては映画っぽくてええなってな具合だったからだ。でも、5~6は1つを除いて画像はまったくない。こっちは小説っぽくいくでーってな勢いだった。しかし、画像がないと文章が長めになりがちだった。特に6は、行間を圧縮して、結構長めに行くでーと気合を入れたせいもあり、100までに随分と時間を要した。
 よく巷では、特に小説や映画の世界では、「もうこの作者は終わった…」とか、「以前ほど面白くない…」とか酷評される。それが最初の方の作品にインパクトがあればあるほど、酷評される。幸いなことに、ひっそりと書いている三文家なわたしにとっては、それとは無縁であるが、それでも結構楽しいものの酷評なくとも大変だった。これを職業としている人はいかに大変か…。よくわかる。
 ただし、一度創作するとこちらもよくわかる。頭の中を捜索し、そして見えては消え、消えては見えるその断片を捕まえて文となす。それは他人の作品を、創作を酷評することと、立つ位置の次元が違った。言うなれば、川のあちら側と川のこちら側である。
 まぶしいぐらいの光がやがて見えるのだろうか。それとも見えないのだろうか。まぶしいほどの光を感じながら(図)、わたしは今、暗闇の真っただ中にいた。

図 まぶしいわ…1)

1) https://www.pinterest.jp/pin/624944885772726082/ (閲覧2021.2.24)

 
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