No.1962

題名:“かるしゅうーむ”摂っとる
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.1961の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 …ソロヒヨコ・イン・ザ・シェルター・オブ・ヒヨコキャンプに備えた}。
 ピーター・ウォード氏は本の中でそう語っていた。ソロヒヨコ、ヒヨコキャンプ…? 分かりそうで分かりにくいこの表現は、ピーター・ウォード氏の頭の中のふ化なのか、それとも何重にもくるまれた重りのような頭の中の負荷なのか、それとも…、もしかして…、説明すること自体が彼は不可なのか。実は、彼は何にも分かってないんじゃないか、このピーター・ウォードって人は…。そう思えた。
 でも先に進もう。ピーター・ウォード氏はきっと僕の裏返しなのだ。エンジンをふ化すように、頭の中で、猿人が付加しているに違いない。うほうほ…、うほうほ…、そうだ、これは太鼓への夢なのだ。ピーター・ウォード氏が与えてくれた太古への夢なのだ。僕の中の猿人のエンジンをかけるべく太古への心的旅行なのだ。
 そう考えている背後でやがて生まれてくるであろうオスカルが叩くブリキの太鼓の音が聞こえた。
 {人は生まれた時も死ぬ時も皆独りだ。そばには生んでくれたお母がいる。場合によっては、お婆もいる。しかし、双子であっても、三つ子であっても、それぞれがそれぞれに生まれる。受精卵からその運命は決まっている。いやその前からの生死の、そして精子の神的旅行が生み出す神秘の世界だ。
 ヒヨコもこれと同じだ。ヒヨコの意志をクミちゃんし、お母となるめんどりがいるも、ぽこんと生まれるタマゴは一つだ。一つしかない。タマゴに選ばれるべき、神託も一つなのだ。
 タマゴの中に黄身が二つあっても、「君、君、それぞれ一つやで」と彼らは会話する。彼らは対話する。彼らは、タイは、する。悠々とした海の中、そして生まれ育ったタイ子は太古の昔からこういう思っていたであろうことが今、私には推測される。
 「わたしも稚魚で生まれたの…」てな具合。だから、よう考えてみるとな、やっぱソロやで。ヒヨコも、人も、ソロやで。その生まれ方はぽこんであっても、そろそろであっても、稚魚でも、やっぱりソロなんや。その考えは、ちぎょとるはずがない。だからな、その時に、ぽこんと出た時に、もっとも無防備になる。それが、ねらい目や。その時、猛者たるもは、そばで目を光らせてこう思ってるんや。
 「生まれたで、産まれたてやで、今がねらい目や….」とな。ここでな、殻なかったらどうなると思う。一口でやられてまうで、しかし。でもな、しかし、殻あるとなシェルターがあるとな、守られる確率が高いねん。それがヒヨコキャンプの極意や。
 「もうワイらは、幕の内(ない)キャンプは恐ろしくてできへん。風雨にさらされて、羽毛なんぞあっという間にベショベショのバタバタや。でも、ザ・シェルター(テント)があるおかげで、ワイらは快適に過ごせるんや。ほら見てみ。あのめんどりは、めんどくさがりで、ザ・シェルターに役立つものなんも食べておらへん。だから、あこの一家、皆、猛者に一網打尽にやられとる。でも、ワイらのかーちゃんは、まめやさかいに、せっせっと“かるしゅうーむ”摂っとる境に、ワイら一家のザ・シェルター(テント)はむっちゃいけとる。猛者がいけどるんやない。ワイらがいけとるんや。
 最近は、ウルトラライトとかいって、極度に重量のない超軽量のテントでのキャンプが流行っとるけんども、やっぱ内側が快適なのは、風雨に強いのは、間違いなくちゃんとしたテントや。せめてボトムとトップの撥水と防水と、総合的に耐水圧と通気性をよー考えなあかんのや。でもな、そこが快適とウエイトのトレードオフ、

 
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