No.1959

題名:羽をパタパタ
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的に No.1958の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 おとんになれない僕でも、それでも実感していたことがあった。もうはや、この生活は2人ではない。ましてや2人+αでもない。生まれる前のたまごであっても、すでに僕たちは3人だった。
 ここ最近、いろいろなことが落ち着いていた。シズコも精神的に安定していた。以前のようなイライラした態度は見せなくなり、やさしくお腹にもよく話しかけていた。彼女の中では、もう一人の子がそこに居るんだという実感がわいているようだった。そんな妻を見ていると、僕にはクミちゃんの面影を思い出させた。窓から光が差し込んだシズコの顔を見て、伊香保温泉でクミちゃんと部屋に入ったときの光景と何かダブるものを感じた。そのダブルスで、その光景で、僕の魂はテニスの試合のようにレシーブしつつ、打ち返しつつ、互いに連携を取りながら、そうして心の中のボールがあっち行ったり、こっち行ったりを繰り返して、僕に妙な胸騒ぎを起こさせた。それがどうにも気になって、僕はシズコに尋ねた。
「あの、シズコ。若い頃の写真ってあるかな」
「あるわよ…。ちょっと待っててね」
 よいこらしょと体を起こし、お腹を大事そうに抱えながら、シズコは部屋から一枚の写真を持ってきた。それはシズコが、実家の前に立ち、ニワトリを抱いている写真だった。
「シズコって実家でニワトリを飼ってたんだっけ?」
「あれっ、以前、言わなかったかな。実はこのニワトリは、わたしにとっては妹なの。
本当はわたしに妹ができてたみたいなんだけど、お母さんが流産しちゃって…、その時から飼ってたの。なんだか当時お母さんがとっても落ちこんでかわいそうで、とっさに「ヒヨコ買おうよ」ってわたしがお母さんに提案してからの縁なの。
結局、その後は妹ができないまま、わたしは一人っ子のままだったけれども、そのヒヨコがニワトリになって、最後までわたしは妹みたいにして育ててたんだ。お母さんも一緒に。
わたしが5歳で飼い始めて彼女がヒヨコの頃は、いつもわたしにくっついてきてとてもかわいかったんだよ。
この写真はちょうどわたしが15歳ぐらいの時かな…。実は、このすぐ後ぐらいに、彼女は亡くなってしまって…。
ニワトリの寿命って短いよね。
それでも、10年間は一緒だったから、なんだか本当に妹を亡くしたみたいで、その当時かなりつらかった。
この写真を見るとそれをよく思い出す。
今となっては、いい思い出だけれども、まぁ、今になれば、その当時の気持ちも冷静になれるけれども…ね…」
 シズコはしみじみと感慨深げに話してくれた。
「ところで、このニワトリの名前は、何て呼んでたのかな…?」
「お母さんが名付けて、クミコって名にしていた。もともと生まれるはずの子に考えていた名前みたい。でもね、ちょっとヒヨコには言いにくかったから、わたしはいつもクミクミ…、って呼んでた。すると、何だかそれが自分のことだって、何だかそれがわかってたみたいに、羽をパタパタさせていた。
クミなの。わたしにとって。そのヒヨコはね…。そのニワトリはね…」

 
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