No.1889

題名:これで、十分じゃん
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1888の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 それからたぶん1週間近く眠り続けた。起きていても、体が動かず、眠ったように意識がぼんやりしていた。体がまるで布団と一体化したような、そんな感じでもあった。何度か、スマホに連絡が入っている。たぶん、会社からだろう。それも、ある時を境にぱったりなくなった。これで僕は間違いなく首だ。解雇だろう。
 あれからシズコも帰ってはいない。彼女はどこに行ったのだろうか。
 そうだ、クミちゃんからは連絡があったかもしれない。
 重い体を起こして、スマホの着信をチェックした。着信は、会社からか、サメジマさんからしかなかった。一つだけ知らない電話番号の着信があった。それ以外は、本当に、会社からのものしかなかった。
 仕事に追われているうちに、僕は戦場からの伝令以外は何もなかったことに気がついた。軍の命令。僕は軍人。あのヒヨコが言った通り、僕は軍人になっていた。

ころしゅて、ぼきゅは、ぐんじんになっちゃんだ。

 そういえばクミちゃんとの関係の前から、随分と妻ともあまり話をしていなかったかもしれない。いつも仕事ばかりで、いつの間にかシズコはそこにいて当たり前で、ただの同居人になっていた。
 結婚してから最初の2年間はいろいろとお互いに気遣っていた。妻もちゃんと料理をし、僕の帰宅を待ちつつ、僕も帰宅することに喜びを感じていた。食事中も、そこには二人の会話があった。でも、3年目以降、サメジマさんと大きな会社のプロジェクトに関わるようになった以降、僕の心は次第に仕事に向かうようになった。ちょうど仕事が楽しくて仕方のない時だった。面白いように契約も交わせた。サメジマさんと僕とのコンビネーションもよく、成績はお互いがトップランクに毎月位置していた。いつも冷徹なサメジマさん、そして正義感のある僕。うまいこと、お互いの性格に相乗効果が生まれていた。毎晩のように、サメジマさんと飲み歩き、帰りも遅くなった。ただ、少しばかり有頂天になっていた僕に対して「タケヒサ、言っとくがな、いつも正義感だけではこの先はやっていけないぞ。この仕事は時には鬼になる必要もある。人はそれほど純粋じゃない」と注意されたこともあった。ちょうど新人の教育に対して僕が特に熱を入れていた時期でもあった。
 ある時、僕担当の新人が大きなミスをした。僕は顧客に対してそのミスをかばうよう働きかけた。でも、サメジマさんは密かに見抜いていた。顧客の策略に、その新人がまんまとはまっていることに。ただ、その時、僕は、サメジマさんが何と言おうとも僕のやり方でそのミスを正すと正義感に燃えていた。「僕は、僕のやり方でやります。ちゃんとやりますので見ていてください」。自分の成績にうぬぼれていたせいもあるのだろうか。結局そのミスは、僕がさらに大きな穴をあけることになり、最終的にサメジマさんがうまく調整し、事なきを得た。ただ、それ以降、その新人の僕への見方も変わった。僕をなんとなく見下している。そう、思えた。
 僕の営業の成績も次第に下がり、サメジマさんはその新人と組むことが多くなった。帰宅も徐々に早くなった。それでも疲れて家に帰ると、そこに待っているのはシズコの料理ではなく、食卓のテーブルに置かれているのは、お店の総菜のテイクアウトばかりだった。「仕事、忙しいんでしょ。作っても食べる暇ないなら、これで、十分じゃん、ここの美味しいよ」。

 
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