No.1878

題名:カーボデペニャスあるいは
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1877の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 僕が消えてこの世から去ろうとしたその日が、僕にとってクミちゃんとの初めてデートの夜だった。僕には妻もいる。だから、これをデートといっていいのか…。後で、そう自問自答した。そう思いながらも、その時の僕の心は浮ついていた。
 でも、あの時、例えクミちゃんから「はい」と返事がもらえなかったとしても、「OK」が出なかったとしても、僕の還るところはここだと信じていた。そんな僕を見て他の人からは、受付のアイドルそれって思い込み、そんな会社じゃないぞうちは、と言われたかもしれない。ただ例え誰が何と言おうとも、それが妻であっても、クミちゃんという一凛の花は僕に生きる喜びを与えてくれたことは間違いなかった。僕にはまだ生きる望みがある。クミちゃんの微笑みはそれに答えてくれた。僕を生かしてくれたお礼なんだ。妻に内緒で祈った。
 その日は、僕の行きつけだったカジュアルなイタリアンレストランにクミちゃんを連れて行った。僕はペスカトーレを頼み、クミちゃんはイカ墨パスタを選んだ。つまみにカーボデペニャスあるいは(イカのサルサ風)、そして生ハムのサラダも頼んだ。
「イカ墨のスパが好きなの?」
「そうなんだ。ちょっと唇と歯が黒くなるけど、えへっ」
「飲み物はどうする?」
「私、ビールがいいな」
「それじゃぁ、これでどうかな」
 そうして、僕はメニューのハイネケンを指さした。それは僕の命が救われたビールでもあった。
「これ、美味しいよね。私もこれ頼もうと思ってたんだ。タケヒサさんも同じだなんて、偶然ね♡」
 その言葉になんとなく勇気づけられた。その後、お互いにパスタを食べつつ、お互いにつまみをつつきながら、ハイネケンを飲み、彼女といろんなことを語った。
 僕は、その日一日にあった出来事、そして本当に僕は死の淵に直面していたかもしれないことも包み隠さず話した。そして結果的にクミちゃんの笑顔にも救われたこと、それもこれもすべてを話した。僕の言葉の一挙手一投足に相槌をうつクミちゃん。その様子から、彼女は僕のことを思った以上に理解している、そう思えた。
「最近、タケヒサさんが、元気なくて心配だったの。私、これで2年ほど受付やっていると、社のいろんな人の出入りしている気持ちが、表情で意外とよく分かるようになったんだ。だから、タケヒサさん、ここのとこ変だなぁ、元気がないなぁ、って心配だった。私の笑顔で助かったんだね、タケヒサさん、よかった♡」
 僕は素直に彼女に「ありがとう」と伝えた。彼女の頬もハイネケンのアルコールのせいだろうか。なんとなく上気していた。その様子に僕は年甲斐もなく、うれしかった。「でも、タケヒサさんって、奥さんいるんだね…」、「そう」、「そっか…ちょっと残念」、という言葉が印象に残った。
 でも、過ごした時間は、二人とも楽しいひと時であることには間違いなかった。今日を通して、彼女もなんとなく僕と通じ合っている、お互いにそう感じていた。そこでわずかな時間、それは一時の食事でもいい、それを暗黙の了解とする秘密の二人だけの合図を考えた。思いついたのが、受付プレートの右隅に貼る小さなハートマークのシールだった。「これでいい?」、「いいね~」。またも僕は年甲斐もなく、僕は喜んでいた。

 
pdfをダウンロードする


...その他の研究報告書もどうぞ