No.1719

題名:おつうじちゅう
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1718の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 いくたのくなんをのりこえて、そうしてぼくはみす・Sのほしのうみのなかに、うみのそこに、ふねごとただよっていた。このままでいいか。ときおりそうおもえることもある。それは、ここをよんでいるひとはもはやいない、ということがかくしょうしているからだ。だからこそ、ぜんかいで、ぜんかいで、おっちゃんせいのしねんにもどっぷりつかればよいのかもしれない。でも、ここのうみは、みす・Sのほしはふろではない。おんせんでもない。そのせいぶんは、ふねのえーあいでもはんべつできない。それほど、みす・Sのほしはなぞめいている。「けんちくがくがいろん」いがい、ろくにちぇっくしていないから。それでもふぁんなの? そうとわれてもしかたあるまい。そんなのわかっている。いつもなにもかんがえていない。あたまのなかがもはやからっぽ。だから、おもいつくことをこうしてしたためているだけなんだ。だけなんだ。
 けっきょくは、いろいろなことをしろうとして、どりょくしても、あるひとからのうけるえいきょうが、うけたいんしょうが、もっともそのごのじ(ゅ)んせいにも、えいきょうとして、こころのいんしょうにのこってしまう。だから、みんな、あがたとして、じ(ゅ)んせい。つまりは、ぼくのじ(ゅ)んせいは、のぼりちょうし。あおいにもそれはつうじて、けっきょく、ごーんごーんとかねがなり、ふぃれんつぇのよるはふけていく。

「ねぇ、きっぺい。きょうはどこいく?」
 ふぉとジェシカのこえがきこえた。あさになり、ジェシカはちょうしょくをつくっていた。ぼくもジェシカもひさしぶりのきゅうか。ここのところ、ぼくのふぉとのうれゆきがいささかよかった。これも、すべて、ジェシカのおかげ。ジェシカをふぉとするたびに、ぼくはじぶんのうでがあがったみたいにかんじた。それが、ほかのふぉとでも。まさに、おつうじ。それは、このあとの、あが(っ)た、ぼくの、じ(ゅ)んせいをいみしていたのかもしれない。
 それでも、れいせいになりつつも、ジェシカへのじょうねつはたかぶりつつも、いつもそのあいだで、ぼくのたましいはゆれうごいた。たしかに、いまでも、いたりーのエミリアをわすれることはできない。いまでもだ。ジェシカといっしょにいるときでも、ふぉとエミリアのえがおをおもいだすことがあった。そのえがおがいまでも、こころに、いんがしのようにやきついている。それでも、ジェシカをふぉとしているときにかんじるえいきょうは、ぼくのこころをかくじつにいやしてくれる。にじゅうろこうのように。このまま、ジェシカと「今日は残りの人生の最初の日」1)だとしても、ぼくはジェシカといっしょにいるだろう。ジェシカはいつも、そう、かんじさせてくれた。

ず きょうのジェシカ1)

「ジェシカ。きょうのジェシカは、とってもきれいだ(ず)」
「きっぺい、ありがとう。きっぺいにそういわれると、うれしい」

1) https://www.pinterest.jp/pin/737745982698747996/ (閲覧2020.6.7)

 
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