題名:それは「 」であると。
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.1639の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
ふと晴美さんの香りがしたその夜(No.1639)、久しぶりに僕は夢を見た。たぶん、晴美さんがそこにいたような、そんな夢だった。
でも、夢の中でも、以前のように、具体的に、そこに、晴美さんがいる(No.1597)。そんな雰囲気は、夢の中ではもはやなかった。晴美さんや琉花への想いが、時間とともに失われているのかもしれない。どんなに愛おしくとも、時間は、すべてを洗い流していた。
寂しいようで、それが真実。
あの時から3年以上も経った(No.1634)。時間はあらゆるものを、それがどんな想い出であっても、やがて風化するかの如く、記憶から奪い去る。
つい先日、漁業組合に新た入職した女性の日梨さん(図)が、伯父が、その日梨さんに対して、ほきほきしている姿を見ると、結局、愛とは、そんなものだったのかもしれない、と思うこともある。その移ろいやすさには、なにも確証はない。ただ、伯父の様子は、はた目にも分かりやすかった。
図 日梨さん1)
だからこそ、僕の、琉花や晴美さんへの想いも、結局のところ、愛と思しき山を登ったところで、何も得られない。その時に失われた淋しさは、愛という山の頂きには、決してない。それも今や、納得しつつあった。
伯父の、組合に新たに入ってきた日梨さんに対する熱は、傍から見ていて恥ずかしくもあった。伯父の嫁であり、僕の義理の伯母でもあるチカおばさんも、「まぁ、かわいいこね…。ソウハチ(伯父)はむかしから、かわいい子には目がないから…」と、その様子に半ば、呆れていた。確かに、僕の目からも一生懸命に仕事をこなしている日梨さんを見ると、伯父の気持ちも分からないではない。日梨さんはかわゆい。
でも、だ。僕はといえば、その日梨さんの働きぶりを感心しつつ、琉花と晴美さんと過ごした時間を反芻するしかなかった。琉花と晴美さんの二人で過ごした時間は、僕にとって宝物でもあった。だから、もはや、その記憶が薄らいだとしても、僕のこころには、二人の存在が釘のように刺さっている。その釘は、誰にも抜くことができない。それは、日梨さんのかわゆさでもっても。
何かが運命づけられている。「づ」、か、「ず」か分からない。でも、何かが運命ずけられている。それは、長い間つけられた漬物のように、発酵していた。ただ、こっちは、間違いなく「つ」。長い間すけられた漬物のように、「す」では、その発酵の度合いが、「つ」の過ちとして、その度合いが明白である。そうだ、「づ」、か、「ず」、「つ」、と、「す」、と問われれば、今の僕は間違いなく選ぶことできる。それは「 」であると。
1) https://www.pinterest.jp/pin/804596289664208172/ (閲覧2020.2.22)