No.1329

題名:約90°の角度でもって背徳感を肯定する
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1328の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 大事なことを忘れていました。そうです。No.1328で示したpalenceには、もう二曲ハイパーなリンクしないといけないことを思い出しました。そうして、もはやメモ帳にも準じた内容をここで示したいのです。でも、なぜかというと、palenceの曲には、なんとなくその雰囲気に背徳感があるからです。そのため、ドキッとして、こころが揺さぶられるのです。もしかして、それは、私だけかもしれません。そうではないかもしれません。でも、図と同じように、画であっても、そこには、見てはいけない。あるいは、音であっても、聞いてはいけない。でも、でも、それを知ると、知らずにはいられない、知りたい、何かがあるからなのです。あるからなのです。彼女らのように(図)。
 一般的に、悪いことをすると、「ごめんなさい」、「すみませんでした」、「申し訳ありませんでした」と平謝る。しかしながら、大きくこれを損ねる際には、土下座することもありうる。でも、しかしながら、その土下座は、いいようで、よくないイメージも多い。昨今の芸能界での不祥事でも土下座をしている様が放じられた。しかしながら、それは、あまりにも露骨な誤りとして、奇異に映る。だから何? そのため、普通は、立ったまま、頭を下げつつ、上体を下げつつ、約90°の角度でもって、謝ることが望ましいのかもしれない。
 一方、背徳感は、世間的にまずい・わるいかも、あやまらなければならないかも、との背景事情を隠しつつ、そうして、そこに安住を見出すことで、それは確実に、当事者以外、誰にも知られない、知られていない秘密として、永遠に刻まれる。バレれば、そこに、背徳感はすでになく、表立った場合、そこに土下座が待っている。しかしながら、土下座は前述したように、露骨なイメージが付きまとう。そのため、ここでは、あえて約90°の角度でもって背徳感を肯定するのだ。

図 彼女らのように1)

 そこで、palenceの「tephra」2)を見ていただきたい。そこには、tephraとともに20/11/1998の動画が映し出され、何かの背徳を暗示している。それは最後まで見ないと分からない。見ても分からない。でも、何かがあるのだ。そこには。もう一曲は、「Grit」3)である。ぐりッとしてこころをつかまれるその画像は、文献4)からの引用であるが、そこを覗くと、やばいものを見てしまったとの、ネット世界の危うさを感じる。でも、これも肯定しないといけないのかもしれない。それは、人の暗部でもあるからだろうか。そうして、約90°の角度でもって背徳感を肯定しつつ、目線をそらして、見てはいけない画像をそっと閉じるのだ。

1) https://www.deviantart.com/caitlin-may/art/sisters-II-320678182 (閲覧2019.7.6)
2) https://www.youtube.com/watch?v=k199SZkURhY (閲覧2019.7.6)
3) https://www.youtube.com/watch?v=hAPhbmqZz6o (閲覧2019.7.6)
4) https://filthy-shades-of-roses.tumblr.com/ (閲覧2019.7.6)

 
pdfをダウンロードする


...その他の研究報告書もどうぞ