No.1219

題名:憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥 created by松尾芭蕉 featuring ポップ感
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1218の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 人生にはいくつかの岐路がある。それは森の中に入って迷う中で、目の前にAやBやCという限りなく前の見えない小道をたどるようでもある。場合によっては小道すらなく、なんとなく道らしき跡がありつつも、そこは誰も歩いていない。ただ、獣の道が、道にも見えた錯覚であったのかもしれない。そうして、未知なる道に進むことで、その道は正しい選択であったのか、そうでなかったのかを、後に知る。Aがよかったのか、Bがよかったのか、それとも、Cがよかったのかは、後になってみないと分からない。そもそも、そのABCどれもが正しいとも限らず、本当は自分には見えていないDがあったのかもしれない。実は、後でも知りえない謎がある。ただし、その時、あーしていれば、今はこうなっていたかもしれない、とか、いうIfの世界は誰にでもあろうか。その時、人は、こう思う。「あの時、あーしていれば、でも、過去の世界である」ということを。そう、誰にとっても条件は同じで、過去には戻ることはできない。
 過去には戻れない。その時、出現するのが実験動物ニワトリンではなく、実験動物カッコーンである。カッコーンは、とうもろこしを口いっぱいにかっ込んでから、葛根湯を飲み、風に対処しつつ、カッコー、カッコーと鳴く。その鳴き声は、過去に対する追悼なのかもしれない。だからといって、カッコーを獲っていいわけはない。松尾芭蕉の句にも「憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥」というものがあるように、古来から日本人はカッコウの鳴き声に物寂しさを感じていたとされる1)。撮られて、獲られてしまうと、実験動物カッコーンは、その物寂しさゆえに、こう言い放つ。「スマホで撮っても、そこには過去しか映らない。それは、まさしく、カッコーン。結局、次第に、忘れてしまって、カッコーン。ストレージだけがなくなるぞー」。そうして、再び、とうもろこしをほおばるのだ。口いっぱいに無茶苦茶ほおばるのだ。そのほおばりは、映画館におけるポップコーンのようにも見え、ここで、またもやポップ感が爆発する。まさしく、No.1218の続きとして、ここに記述できるきかっけを生み出す。その選択は、小道ABC、あるいは、Dのいずれであろうか。後になっても、後になっても、分からない、その謎を秘めた小道の選択であっても、実験動物カッコーンはひたすらポップコーンをほおばるのだ。ポップコーンうめーと。でも、何味がよかったのかは不明である。そこにも多くの選択肢が潜んでいる。
「私もポップコーン好きよ。でも、ポップコーンパパ2)には32種類もあって、いつも、どれがいいのか迷ってしまうの。どれがいいと思う?」
そういう彼女の眼には偽りはない(図)。「そうだね。最近、赤に凝っているみたいだから、これなんかどう?」と進めた。その選択は、再び大いなる謎か

図 謎かけさん3)

けさんとして、ここに提示される。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/カッコウ (閲覧2019.5.18)
2) https://www.popcornpapa.jp/html/page12.html (閲覧2019.5.18)
3) https://www.pinterest.jp/pin/737745982689151513/ (閲覧2019.5.18)

 
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