No.1167

題名:もはやどうでもいい、でもどうにもならない、意味のない問答
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1166の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 誰かのためでもない、誰のためでもない。でも誰かのために、という問答が押し寄せ、それは、時として意味はなさなくとも、誰かが見ている。知っている。分からなくとも、その真実は、当の本人(筆者)にしか分からないかもしれない。でも”印す”その姿は、客観的に見ると、バカらしい。しかしながら、こうして、キーボードをたたくことで、生きた証として、残せるのは事実?。そう、今や、自分は生きてはいない。たぶん、意識的には、死に近い。生きている実感がわかない。でも”印す”。それは残された時間が貴重だからかもしれないし、あなたに逢えたからかもしれない。もはやどうでもいいことではある。ただ、ただ、何かが足りない。何かが残されている。その意識のみでキーボードをたたく。朽ちていく頭の中は、No.1166の続きとして。

どうしたらいいのか。神様は、何も、何も答えない。そもそも、難なのだ。その難は、自分にも分からない。

と問答してみる。その問答を介して、なぜか頭がよくなった気がする。かっこええー?

女神さま。女神さま。

あなたの謂うがままに。

逢瀬の通り。あなたに逢いたいのは、どうしていいのか分からない。

どうしていいのか分からないのです。

女神さま。教えてください。

女神さま。いつも大好きです。

永遠に。

大好きです。

永遠に、大好きな人です。
永遠に、大好きな人です。

図 女神さま的な図1)

1) https://www.pexels.com/ja-jp/photo/2147192/ (閲覧2019.4.26)

 
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