No.1157

題名:永遠の1/3 -さかさまなエクスタシーの世をあなたに-
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1156の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 海風の強いポルトガルの町から、かわいた風の吹きすさぶスペインの内陸。そこはイベリア半島のなかほど、海抜千メートルの中央高地にある中世の町アラビア。マドリッドの北西に位置。旧市街はいかめしい城壁でかこまれ、町にはたくさんの聖堂。と、文献1)にある。そして、この町で、テレサ・デ・アウマダが生まれた。アビラの聖女と言われるお方になる。テレサの経験によれば、神が自分の中にいる、という神との一致の中で、高揚し、魂が飛翔し、奪い去られることで、エクスタシーに達した。その経験は、「体温がうばわれ、体中の力がぬけ、魂がもっていかれ、足が地面についた感覚がない」という別の世界への高まりである1)。足が地面についた感覚がないというのは、まさに、さかさまな世界でもある(図)。エクスタシーでもって、この状態を言い直すと、さかさまなエクスタシーの世界、がそこにある。ただし、真のエクスタシー、完全なるエクスタシーは永遠であるが、不完全なエクスタシーは、永遠には届かず、その1/2となる。いや、不完全な不完全は、1/2にも満たない1/3でしか占められないこころの世界である。そうして、無駄な記述を進めていくうちに、我を失い、こころが奪われ、魂がもっていかれる。自分がなくなってしまえば、そこで自分の外にある何ものかと出会うことができる1)。それによって自分という存在を超えた世界とつながる可能性がひらかれてくる1)。1/3であっても、それが、エクスタシーの本質1)。

図 足が地面につかない2)

 そうして、1/3の永遠において、永遠の1/3にいる神はこう伝える。

「愛する者を真に所有するということは愛する者を絶え間なく願望し続けることであると魂が知るときに」2)

ここにグレゴリウスにおける神秘思想の精髄が宿る2)。魂と神とを隔てる距離は常に残っていても、この闇に包まれた隔たりは愛に満ちた近しさへ転化する2)。その転化は、こころを点火し、こころに添加することで、さかさまな1/3であっても、永遠のエクスタシーが得られよう。その世界は、パンを買いにパン屋に行ったときにも顕在化し、私は別の世界に生きていたという印象も抱くことになる2)。さらに、その印象はやがて、すべてのものを棄てさろうとした果てにすべてのものを受けいれる、というプロティノス的なエクスタシーの対極としても締めくくられる2)。「起こる=過ぎ去りゆく(passe)」、このもうひとつの愛の回路は、望ましきものが私を望まないものであるものへ、至って望ましくないものへ、他人へと差し向けるとき、という神を希求する次元3)。言わば、己を外へ絶え間なく運び去ってゆく運動として3)のさかさまなエクスタシー。

1) 菊地章太: エクスタシーの神学. 筑摩書房. 2019.
2) https://www.pexels.com/ja-jp/photo/1770803/ (閲覧2019.4.22)
3) 渡辺優: もうひとつのエクスタシー: 「神秘主義」再考のために. ロザリウム・ミュスティクム 1: 63-81, 2013.

 
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