No.1142

題名:迷宮のラビリンス、あるいは二重扉の仕掛け
報告者:ダレナン

 けだるい暑さの中、目の前に立っていた黒いドレスを羽織った彼女は、僕を見つけるなり、こちらに向かってきた。そうして僕にこう言った。

「わたしの事、覚えていますでしょうか。」

よく彼女の顔を見ても、まったく記憶になかった。ついこの前、頭を打った時に記憶がなくなったのであろうか。いやそんなはずはない。あの時、病院に連れていかれたことも、その後、頭に針で縫われたことも覚えている。その傷跡は今でも残っているが、記憶もちゃんと残っている。

僕は、もともと記憶力はいい方なのだ。仕事でも、顧客の顔と名前は一度たりとも忘れたことはない。職場でもその点に関しては上司から一目置かれている。

「すみません。初めてあなたとお会いしたと思うのですが、どなたかの人違いではないでしょうか?」

ちょっと怪訝な言葉尻であった。が、知らないものは知らない。

「いや。あなたよ。わたしだって間違えることないわ。その証拠に、あなたの腕の右ひじには、並んでほくろが二つあるはずよ。」

右腕のシャツをまくってひじを見た。自分でも気づかなかったが確かに僕の腕の右ひじには、並んだほくろが二つあった。

「ほんとうだ。」

「そうでしょ。だから、わたしの事、覚えていないとおかしいわよ。あなた、よく腕枕してくれたから、わたし、そのほくろのこと、今でもはっきりと覚えているの。」

「えっ、腕枕?」

「そう。」

僕は、とてつもなく大事な記憶をなくしているのだろうか。どう見返しても彼女の事は、記憶になかった。そうして、記憶をなくしていた事実に、急に不安感が襲った。

 (続く?)

 
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