No.1118

題名:情報パターン(型)に溺れる記憶の固着、あるいは固執
報告者:アダム&ナッシュ

 本報告書は、基本的にNo.1117の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にて、記憶の忘却についてヘルマン・エビングハウス博士の研究から探り、記憶の忘却はある意味、人にとって正しくもあることを示した。その一方で、その記憶の情報をより蘇らせる、あるいは、より取り出すことによって、その情報をより頭の中で生きるものとしての手助けを導き、長期的な記憶へと情報が変換されることも報告した。ただし、繰り返す記憶の情報は、過多となり、脳内の記憶保持においてパターン(型)化される。まさしく、過多による型となる。それによって考えられる現象が、記憶の固着、あるいは固執となろう。その繰り返される情報において、最も、麗しい(時には、忌まわしい)記憶が、人が持つ根源的な感情を伴って、生きるものとして重く圧し掛かる。
 文献1)が示すように、人が持つ根源的な感情とは、自我が生まれて後、比較や羨望を生み出す不安という感情、そして、もう一つは愛という感情なのかもしれない。人のこころの根底にある不安、これを解消するために人は愛の補充を企て、不安は愛によってしか解消されない。人は不安があるために何かを比較をするが、そこで自我が捉えた自分のイメージについて満たされていない部分への誤った補い方として、虚栄心、名誉欲等を抱くことも多い。本来は、自己完結的である愛の充足たる感情は、羨望や嫉妬の依存的な不安の感情でもって歪む。その歪みを乗り越え、自己の本質が愛であることに気付き、あらゆる感情を認めて受け入れることで、不安という感情の肉体の反応を超えた先にある愛の本質に触れることができる。それゆえに、繰り返される記憶の情報の中で、麗しく、かつ、忌まわしいのが、愛や不安にまつわる感情が伴った記憶となろう。
 先の報告書の式にて計算すると、保持される記憶は1日で30.4%となる。図で示すと、図の左が100%(あるいは、目の前の記憶)として、1日経つと図の中央のように、30.4%の薄さとなる。しかしながら、2日28.1%、3日26.8%…、7日24.5%、8日24.2%での繰り返しの記憶が重なると、図の右のように、記憶の薄さも100%より

図 繰り返される記憶の情報のイメージ的な実験2)から改図

も薄いが、それでも濃くはなる。すなわち、情報パターン(型)に溺れる記憶の固着、あるいは固執がこうしてもたらされる。さらに、記憶の情報パターンが特別な出来事での互いの中で相当数起これば、その記憶する情報は、膨大な量からの過多へと至り、パターン(型)化も容易になる。厄介なことに、傍にある愛の感情は麗しいが、傍にない場合は、不安の感情が忌まわしくなる。そうして、いつしか情報過多(型)に溺れる。

1) https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476863144 (閲覧2019.3.25)
2) https://pxhere.com/en/photo/946754 (閲覧2019.3.25)

 
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