No.1106

題名:ハトの「ちょーだい攻撃」から考える、ヒトの欲望性への言及:そのⅤ
報告者:エゲンスキー

 本報告書は、基本的にNo.1105の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にて「Attack of the Pigeons」について考察を深め、そこにはヒト:あげる-ハト:もらう、の関係という共通項(認識)があることを提示した。そして、そのハト側の根底には〈欲望〉ではなく、〈欲求〉があることも指摘した。しかしながら、ヒトは、ハトのエサを食べるに相当する、食事を取ってみても、そこには欠乏的に内容物を満たすだけではなく、より高く、濃く・美しく・などの、満たそうとする付加の作用がある1)。それが、滋賀大学の黒石晋教授1)が指摘するところの、〈欲求 (食欲) 〉を超えた先にある〈欲望 (美食) 〉の現れとなる。さらに、ラテン語であるHomo sapiens(ホモ・サピエンス)とは、「美食のヒト」という意味にも取れることを指摘し、すなわち、我々、Homo sapiensは、欲望によって行為することから、生まれもってHomo desiderans:欲望するヒト、へと繋がる1)。
 ここで、ヒトの「ちょーだい攻撃」をおさらいすると、「何かを求める際の対価を考えることなしに、何らかの共通項ができてちょうどよかったわね、という一方的な形式のもとでの「ちょーだい攻撃」」となることは、報告書のNo.1102でも示したところである。そして、〈欲望〉という概念において、それに付帯する重要な状態に、それが安定性のない(無定型)、未分化な状態として存在する1)、ということがあげられる。そのため、それを扱う上で、デカルトの言葉である「cogito, ergo sum (我思う、ゆえに我あり)」という、考える我という主体(cogito)の存在が提起されていなければ2)、無定型・未分化な〈欲望〉の心的エネルギーを発出させる引き金(誘引)でもって、〈欲望〉が次々に湧き起こり、備給されつづけ、結果として「すでに持っているモノを、すでに持っているにもかかわらず、いやすでに持っているからこそ、いっそう欲しがる」という一見不可思議な行為をもたらすことになる2)。これを図示すると、図のようになろうか。報告書のNo.1105でのハトaの集合の代わりに、ヒトBが位置する。ヒトAはヒトBに対して情報をあげた(誘引)とすると、ヒトBは無定型・未分化な〈欲望〉から、内的にはわたし(B)とあなた(A)は共通項があるとするも、その共通項は和集合(B∪A)と認識している。しかしながら、情報をあげたヒトAはあく

図 ヒトBからヒトAへの写像

までも積集合(A∩B)でしかないとの共通項の認識があり、集合:ヒトBとの認識の間にずれが生じる。そのため、f:B→Aとなる写像については、解せない。解せないことから、ヒトBは結果的に、「もっとくれないの」との何かを求める際の対価を考えることなく交換価値である、コレではなく別の何かがほしい、という心理を代弁する媒体が生じる1)。場合によっては、主体(cogito)の存在に根ざす、極めて無定型・未分化な〈欲望〉の心的エネルギーをより発出させることとなり、集合:ヒトBは、やがて際限ない(一方的でもある)欲望性の「ちょーだい攻撃」へとその〈欲望〉を発展させる。

1) 黒石晋: 欲望するシステム. ミネルヴァ書房. 2009.

 
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