題名:得られるものが何もない、から、何かを得る、かい(貝)。
報告者:ダレナン
様々な事柄において、二つの貝が重要になることは、報告書のNo.499でも示した通りである。それがやり貝といき貝である。ただし、これらを人生というプライベートビーチで、潮干狩りするには、それ相応の努力が必要となる。さらに、努力するだけではなく、そのビーチを見つけるべく、行動を起こさない限りは、貝も育たない。日々を漫然と過ごすだけでは、得られるものは何もない。そして、貝の特性も見出せない。
しかしながら、育つように見えて育てるのが難しい二つの貝は、ビーチの環境にも影響される。せっかく育った貝も、ビーチの環境保全を怠ることで、すぐに貝の中身にも影響を与える。気がつくと貝殻はあっても、その貝の中身は、から、となる。貝殻を拾い集めても、結局は想い出にしか残らない。そこで、それを転換すべく、得られないものが何もない、から、何かを得ることで、ビーチの環境保全にもヒントが得られようか。そして、運よく検索で引っかかった「得られるものが何もない」という語句から、様々な意見が交わされていることを発見した。それは、まさに、やり貝といき貝の育て方でもある。
文献1)には、自らの問いとして、こう投げかけられている。「仕事から得るものが何も無い」である。投稿者は青さんという方である。文面から、海外で働いている方であるが、「毎日だらだら仕事をしていたおかげで、勤務年数が2年経ったにも関わらず自分自身の成長は全くありません…入社してからまともに英語を話さず聞かず…最近は若干鬱です」という投稿となる。その投稿に多くの方のコメントがあるが、抜粋すると、「自分で考えて行動することによって自分に何かしらのプラスになります」、「誰かが与えてくれるのを待つより、自分から得て下さい」、「仕事は仕事と割り切って、趣味などで、現地の方だけの輪に入っていかれたら」、「会社は学校ではないので、あなたに何かを教える義務はありません」、「給料をもらっているんでしょ? それが、あなたの仕事への対価です。首にならないことに感謝してください」、「まずは目的を明確にしたほうがいいわ」、「そこはあなたにとって「仕事をする場所」「職場」ではなくて、他のチャンスを与えられた場所だと思うようにしたら?」、「会社のノルマ的なものではなくて、人生の目標です。それを見つけることが出来れば、今の自分の立ち位置が見えてきて、次のステップに進めるのでは?」、「いやいや、お金が得られるでしょ。仕事ってそういうものです」、「自分に身につくことをしたいとかいう欲求は”仕事をして得る”とは切り離して考えればよろしいのではないでしょうか?」、「仕事って、労働の対価に賃金をもらうためのものなんじゃないですか?」、「青い鳥症候群とは言いませんが、一呼吸おいてみてはどうですか」との意見となる1)。要約すると、自ら行動せよ、仕事=対価・賃金、人生の目標を明確に、その他に走れ、であろうか。先ほどのビーチでの問答に活かすと、「(仕事でも趣味でも)プライベートビーチを見つけるために行動し、やり貝といき貝には、餌として対価・賃金をあげつつも、最後にはどのようなやり貝といき貝として育てるのかを明確に目標化せよ」となるのであろうか。
ここまで来て、分かったような、分からない報告書の内容に、読者の方とて、得られるものが何もない記述だったかもしれない。そうして、生ける化石でもあるオウム貝に思いをはせたい。個体数は減少しているが、ほぼ4億年の間ほとんど変わっていない理由に2)、別の何かヒントがあるに違いない。
図 オウム貝2)
1) https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2014/0919/680702.htm (閲覧2019.2.25)
2) https://www.leisurepro.com/blog/featured/the-nautilus-a-living-fossil-of-the-seas/ (閲覧2019.2.25)