No.1008

題名:生きる意味を「それだけが、生きる意味なんだ」で邂逅スル ver 1.0.1
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1007の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 先の報告書にて、トポロジーにおいて穴の種数1であるトーラスΣ1における性質の不動点定理に関して、この定理が、「それだけが、生きる意味なんだ」に繋がる重要な解をもたらすことで締めくくった。ここでは、これについて詳しく提示したい。
 例えば、お風呂のお湯を撹拌するために、手をつっこみぐるぐると回す。お風呂の湯船の形状はトポロジー的には変形すると球面Σ0と一致する。そのことから、種数0であることが分かる。地球も種数0の球形であるが、この形状では撹拌すると必ず不動点が存在する。文献1)にある図でそれらの考えをまとめてみると、図のようになる。図の左は湯船と球形が同相(一般的にAという図形を伸ばしたり縮めたりしてBに重ねられる時、「AとBは同相である」といい、「A ≈ B」と書く)であることを示す。図の右上はお風呂を撹拌した時であるが、中央の黒丸に示すように、必ず渦ができ、その中央が止まる。言わば、お風呂の流れに静止しているところ = 不動点が生じる。図の右下のトーラスの場合は、静止点のないさわやかな流れが得られ、不動点のない流れが存在する。お風呂以外にも、文献1)では台風の目や部屋の空気の流れも不動点が存在していることを示しているので、不動点定理の証

図 不動点の関する図1)から抜粋

明も含めて詳しくは文献1)を参照していただきたいが、要は、トーラスΣ1に流動があると、不動することなく、永遠に循環し続けることを意味する。
 ここで、先の報告書を再び振り返ると、「それだけが、生きる意味なんだ」の歌詞には、永遠と循環をどのように捉えているかが内包され、物語が永遠に続くためには、めぐり逢いとそこでの約束(応援・支援)が最も重要であることを意味していた。そして、それらの魔法は、普遍的であればある程、永遠に何かが循環し、そこにアイドルが求める解があることを示唆した。これから類推すると、アイドルだけでなく、人が、命として永遠に循環し続け、それを普遍的なものとするためには、トーラスΣ1が生の世界において存在しなければならない必的な空間となり、そこで循環し続ける不動なき時間は、人と人との逢いから、「人生はドーナツなのだ」と繋げることができる。山に登るのはそこに山があるからのごとく、人が人生に問うべき生きる意味とは、”Life is alive”であり、ゾンビのように”Dead is alive”ではない。このことから、人の生きる意味とは、

“トーラスΣ1によってなされる生の循環において不動点が存在しない流動性”

となるのかもしれない。この結論に閉口するかもしれないが、“邂逅”(かいこう)を巡った開口(かいこう)として、口から食道、胃、小腸、大腸へと導かれる人体は、そもそもトーラスΣ1に他ならず、開口(コミュニケート)することによって、人は人として不動点が存在しない流動性を導き出せる。そのことが、明らかとなった。

1) 川久保勝夫: トポロジーの発想 ○と△を同じと見ると何が見えるか. 講談社. 1995.

 
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