題名:歪んだ権威の構造 -権力は下から来る-
報告者:エゲンスキー
本報告書は、基本的にNo.953の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
今世紀最大の知の巨人のひとりでもあるフランスの哲学者、ミシェル・フーゴ博士を研究した森村修博士1)によると、ミシェル・フーゴ博士の著書「主体と権利」には、次のようなくだりがあるという。「権威は下から来る」、である。そして、その権威を「羊と羊飼い」に習い、権力形式の特徴は「「羊」の群れに属する個々の成員に対する個別的な注意を前提とする」ことにあり、精神の教導の側面も伴う他者の「内面の支配・統治」を行い、他者の「主体」を構成する。こうして、権力によって構成される支配・統治される「臣下」という意味を担う。そして、それは、「羊飼い」の牧人、司祭型権力によって「服従」という状態へと至る。結局、先の報告書で示したように、そこには、盲心的な服従が潜み、その服従によって「臣下」は、「権力」を祭る。すなわち、「権力は下から来る」。
これと同じようにして、過去の歴史を探ると、最も顕著な例として、ナチスがあげられようか。20世紀最大の独裁者でもあるアドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦を引き起こした張本人でもあるが、当時の世相から合法的に、選挙を通じて、国民の支持を得、1932年7月の国会議員選挙の投票において国会の第1党から国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の支配者となったことは、紛うことなき歴史的な事実である2), 3)。そして、そのような事実に陥った背景には、権威主義の下に生きる民衆に現れる、サディズム的衝動とマゾヒズム的衝動が存在する2)。
ナチスが支配する前のドイツは、1929年の世界恐慌によって急速に景気が悪化し、街に大量の失業者が溢れかえることで、社会情勢は不安の一途をたどっていた3)。その結果、ドイツ国民は孤独に陥り、マゾヒズム的ともいえるような劣等感、無力感、個人の無意味さに取りつかれていた2)。その当時のドイツ国民が出来る解消方法として、①他者と自発的な関係を結ぶ、②自由を放棄し何かに帰属する2)しかなかった。そして、当時のドイツ国民は、自由を放棄し、他者に依存することによって、その孤独を解消したことになる。その他者とは、他でもない国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の支配者であるアドルフ・ヒトラーであり、ヒトラーに国のすべての権利を委ね、マゾヒズム的衝動を充たすと同時に、アーリア人とユダヤ人の二項対立によって、サディズム的衝動をも満たした2)。その結果は、明らかであるが、アドルフ・ヒトラーという権威によって、ドイツ国民は権力を持ちあげ、その後のドイツに暗い影を落とした。ただし、これは、ドイツだけではなく、同時期のどの国にも起こり得る状態であり、下から来た権力によって歪んだ権威が招いた全世界的な規模の惨事としても今でも見過ごすことはできない。
このような歴史的な背景だけではなく、現在の日常でも下から持ち上げられた権力によって、歪んだ権威が生じことも多々ある。本来は「羊飼い」としてふさわしくない人物が祭り上げられ、盲心的な「臣下」がその下に潜むことで、はたからそれを冷静に見つめると、その権威に?となる事例も決して少なくはない。孤独とは、その盲心を生み出す元凶でもあり、やはり必要なのは孤独を冷静に見つめる視点を常に持つこととなろう。
1) 森村修: 権力はどこから来るのか: フーコにおける権力の分析哲学について. 東北哲学会年報 9: 69-71, 1993.
2) 池野民基: ナチスを指示した民衆の心理とその構造. 静岡大学人文社会科学部社会学科 卒業論文要旨集 13, 2016.
3) https://ja.wikipedia.org/wiki/アドルフ・ヒトラー (閲覧2018.11.1)