No.929

題名:時代の世相を映す絵画の芸術における作風
報告者:アダム&ナッシュ

 芸術はその時代時代において、はやりすたりがどうしても存在する。ファッションでは、春夏秋冬、年代でブームがあり、はやりすたりは当たり前であっても、芸術という括りでもその傾向は皆無とはいえない。
 ここで、芸術の中でも西洋絵画という媒体に絞ると、かつては宗教画がメインであり、それを描けるのも一部の人々のみであった。それがルネサンス以降は、徐々に芸術への理解も深まるとともに、絵画はもとより、彫刻などの造形という媒体も盛んとなり、少しずつ教会以外でも、芸術が一般的になり始める。そして、それまでの多くは、神や人を中心とした宗教画、肖像画などが描かれていたのに対して、キャンバスや絵具等の科学的な技術の進歩とともに、絵画技法も深まり、風景画や民衆の風俗画などの描く題材も広まった。さらに、この頃になると、支配階級の要望によって美しい花々や食材、動物や貴族の邸宅、庭園など、これまであまり描かれることのなかった題材も取り上げられるようになることで、絵画愛好家や市場に向けて制作される作品が多くなった1)。絵画が芸術というよりも、商業として扱われるようになった時代である。それ以後は、いわゆる絵画にもブームがあり、芸術であっても、はやりすたりの付帯が避けられなくなった。
 報告書のNo.928でも示されたアイナ・ヴィーイナ氏の妻であったゲアダ・ヴィーイナ(Gerda Wegener)さんも女流画家であった。しかしながら、その活躍した1886-1940年代は、フランスのボヘミアニズム(定職を持たない芸術家や作家、または世間に背を向けた者の思想2))の影響が多大であり、雑誌の「ヴォーグ」や「ラ・ヴィー・パリジェンヌ」などのイラストも華々しく、もはや絵画は、純粋な芸術だけではいられなくなった時代でもある。彼女もその時代の流れの中で、フランスで活躍し、当時のボヘミアニズム世相を受け、その当時らしい雰囲気を絵画に表現している(図)。今ならば、画家とイラストレーターの狭間ともいえようか。また、同時期に活躍したその他の女流画家にタマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka)(1898-1980年)さんがいるが、彼女の1900年代初めの作風は、ゲアダ・ヴィーイナさんと似通った雰囲気で、アール・デコ(*)調の画風として、多大な評価を得ている。両者ともに、この時代を通過したはやりの作風の特徴がなんとなく見てとれる。

図 ゲアダ・ヴィーイナさんの絵画3)

 一方、日本絵画にも目を移すと、同じ時代の日本の有名な画家に、竹久夢二氏を挙げられる。彼は1884-1934年に活躍したが、これは、ゲアダ・ヴィーイナさん、タマラ・ド・レンピッカさんと同じ年代であり、彼も実はなんとなく作風が似ている。そのことは竹久夢二氏を好む方なら読みとれるであろう。ただし、今となると、今や三者の作風を真似て描いたとしても、その時代背景がないことから、得られるものは異なる。はやりすたりという時代の移り変わりでも、芸術は、確実にその作風を決めていた、のかもしれない。

*: 1910年代から30年代にフランスを中心に流行した美術工芸の様式。単純・直線的なデザインが特徴とする3)。
1) 栗川直子: 絵画の形状が印象に及ぼす影響. 岡山大学大学院博士論文. 2015.
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/ボヘミアニズム (閲覧2018.10.6)
3) https://theartstack.com/artist/gerda-wegener/cafe-scene-4 (閲覧2018.10.6)
4) https://kotobank.jp/word/アールデコ-420815 (閲覧2018.10.6)

 
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