題名:上方と下方に向けての社会的比較 -おのれは他人よりもすぐれていると妄想して、他人に対して誇りたがる心のおごり、について-
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.915の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先の報告書にて、自己と他者を比較する心理として定義されている社会的比較について理解するために、各用語をまとめ、整理した。そして、その中で、パーソナリティの特性によって生じる二つの用語、公的自己意識と自尊感情がキーとなる用語として浮かび上がった。ここでは、このキーとなる用語に内在する2つの比較、上方に向けての社会的比較(上方比較)、下方に向けての社会的比較(下方比較)について検討したい。
大谷大学の名誉教授である蜂屋良彦博士によれば、上方比較は、自分よりもやや優れた他者をライバルと見なし、これによって刺激されることによって、自らを大いに努力し、より高い知識や技能を身につけ、業績をあげることを示す1-2)。一方、下方比較は、自分よりも不運な他者や不幸な他者と比較することにより、自分を慰め、幸福感を増やすことを示す2)。さらに、この下方比較は、受動的と能動的とに分けられ、受動的な場合は、自分の身の周りにいる不幸な他者を見つけて、この人を自分との比較の対象として利用するが、能動的な場合は、他者を積極的に傷つけることによって、自己と他者との心理的距離を一層拡大し、自分と他者とを比較しようとする1)。また、下方比較の主体として、自己評価を傷つけられ、この回復の見込みのない状況に追い込まれた人ほど下方比較を行いやすく、その下方比較のターゲットとして、社会的に弱い立場にある他者が選ばれやすいとされる1)。蜂屋良彦博士曰く、近年は過度の競争社会にあるが1)、この上方や下方に向けての社会的比較は、まさに近年の重要なキーワードとして位置づけられるのかもしれない。
その上、蜂屋良彦博士は、社会的比較を論じる社会心理学の領域と、仏教との関係を繋ぎ、その関わりを示す仏教用語の慢についても述べている1)。そして、仏教には七慢という用語があり、
「おのれは他人よりもすぐれていると妄想して、他人に対して誇りたがる心のおごり」
について諭しているという1)。
七慢とは、①慢、②過慢、③慢過慢、④我慢、⑤増上慢、⑥卑慢、⑦邪慢、である1)。その中でも、③慢過慢は、「すぐれた者に対し、逆に自分がすぐれているとする。」考えであり、これは慢中の慢である、とも蜂屋博士は述べている1)。
上の考えで持って、近年の社会的な様相を鑑みると、まさに、下方比較の成れの果てから、慢過慢へと転じ、やたらと能動的に比較しようとする人が多くなったことに気づく。それがその人の成長とともに増大している場合は、非常に厄介である。
人の心はそう簡単に変わらない。さらに、それが年齢を経ると余計に変わることがなくなり、年とともに固定観念に縛られる。それは心のおごりでもあり、社会的に地位がある人が、なまじ妄想に縛られていると、もはや社会的な発展も下方に向かうに違いない。
1) 蜂屋良彦: 他者と較べる: 社会的比較過程の理論と慢. 大谷学報 82: 33-37, 2004.
2) 吉川祐子, 佐藤安子: 対人比較が生じる仕組みについての心理学的検討. 心理社会的支援研究 1: 41-53, 2011.