No.858

題名:説得から納得の通信ケーブルの構築に向けて
報告者:ダレナン

 「あーしなさい」、「こーしなさい」は説得に属する。この意図は、自分はこうした方がよいから、あなたもしなさい、が本音である。そこにある価値観は、その自分である。ただし、その自分の価値観がどのように生じたかを考えると、結局は「あーしなさい」、「こーしなさい」で培われたその人(自分)の成長過程に伴う思考回路の決定に基づく。その「あー」、「こー」自体もよく考えると、実は誰かが決めた訳ではない。しいて言うなら社会が決めた、となるのかもしれない。社会とは目に見えない、しかも、何らかの縛りである。社会情勢が変化すれば、その縛りも変化する。ある意味、脆弱な縛りである。
 一方、納得は自分から発信しても、相手の合意が必要となる。その自分がいくら納得して、相手に伝えたとしても、相手の合意がなければ、説得となる。そのため、納得の通信の方向性は一方向性ではなく、双方向性でもある。最終的には、思考回路も自分だけではなく、相手の思考回路の自己修正をも促すことが必要となる。そこには、お互いの成長過程が見てとれる。
 説得と納得について簡単に図示すると、図のようになる。説得の場合は、自分から相手に向けて一方的に発信する。そのため、場合によってはその発信が雑音にも思え、相手は発振するかもしれない。発振することによって、時には相手側の変調をきたす。相いれない説得は、相手側の思考回路の断絶でもある。完全に回路が断絶されてしまえば、自分の説得が、今は社会的に容認されたとしても、脆弱な縛りである以上、自分の社会的な成長にも繋がらない。気がつくと、自分側が社会的な孤立に発展する。
 社会的な変革は、これらのことから類推すると、明らかに説得では起こり得ない。

図 説得と納得の模式図

双方向性を持つ納得により、お互いの成長が起こり、それが広まることで、社会自体もダイナミックに変貌できる。きっかけは、お互いの思考回路の単純な組み換えであっても、納得の輪が広がれば、社会全体の思考回路の組み換えが起こり、やがて社会的な意識革命に広がる。
 説得はある意味、簡単である。自分の意見を伝え、相手をねじ伏せるが如く、相手側に要求すればよい。リコールはなく、通信ケーブルも自分から相手への一本で済む(シングルケーブル)。一方、納得は、相手側の合意がどのようなレベルにあるかを見据え、伝えながら分析し、その分析に基づいてコミュニケートしなければいけない。そこには、説得の一段上の高い通信機能(ダブルケーブル)を持つことが必須で、その間には相手側の変調を自分側の変調に合わせるべく、分析機能を有することが求められる。そして、その結果、お互いに発振し、目に見えない納得のある社会の実現という電波を共有して、お互いに発信(発進)できる。

 
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