No.70

題名:人として生まれたがための悩み
報告者:ダレナン

 人は生まれ、やがて死ぬ。しかしながら、自分が何のために生まれたかは明確ではない。やがて死ぬのに、人が生まれた理由は何であろうか。
 この理由を探ると、実は人に生まれた理由などないことが分かる1)。どのような人でも、特別な理由があって生まれた訳ではなく、自然の摂理に従ってただそこに生命体として生をもうけただけである。人の生まれたことに理由をつけたがるのは、実は人らしさでもあり、あらゆる人がどのように考えようとも、人が生まれた真の答えは解法することができない。解法がないのに、答えを見つけようとすることに、人が人たる所以がある。
 数学上の未解決問題に現時点で、①P≠NP予想、②ホッジ予想、③ポアンカレ予想、④リーマン予想、⑤ヤン-ミルズ方程式と質量ギャップ問題、⑥ナビエ-ストークス方程式の解の存在と滑らかさ、⑦バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想が挙げられる2)。この7つの問題はミレニアム懸賞問題と呼ばれ、クレイ数学研究所によってそれぞれ100万ドルの懸賞金が懸けられている難問である2)。しかしながら、ロシア人の数学者であるグリゴリー・ペレルマン博士によって、ポアンカレ予想は証明され、この問題については解決された3)。しかしながら、それ以外のいずれの問題も、数学的な問題ではあるが、世の中のとある現象に対して分からないといった問題が、数学的に定式化されただけであり、これを問題と捉えられること自体に意味がある。前述に「人が生まれた真の答えは解法することができない」と定義したが、数学的に、仮にいつしかこれが証明されることがあれば、人が生まれた真の答えが見つかる可能性もありうるかもしれない。しかし、である。これは、現時点では間違いなく「神のみぞ知る」である。その神も、生まれた答えが分からないことから、結局は分からないの堂々巡りとなり、数学的ではないにせよ解法は決してできないであろう。突き詰めれば答えのない難問のひとつとなるに違いない。これを先の数学上の未解決問題と同様に、人類学上の未解決問題として命題すれば、以下のように定式化できる。

①人が生まれる存在理由とその問題

 どのような人にも、身近な人が亡くなることは避けられない。これは人と人との関わりにおいて、人の営みにおいて、避けることはできない現象である。しかしながら、そのある人が亡くなった時点で、その関係のあった人に対して涙することが多い。これは、その人の存在理由が失われ、その結果として心にあるその人の存在が消えてしまう恐れに対して、涙という手段でもって償うことに根拠がある。すなわち、想いのある人が亡くなるから、言い知れぬ悲しみが襲うのである。その涙の所在は、先の「人が生まれる存在理由とその問題」の明確な答えと言い換えることができるかもしれない。亡くなった人に対して、自分の意思(涙しない)と反して涙することがあれば、その涙には先の命題への解法できないのに、解放された答えとして、その解法が含まれている。人は人との関わりがあるからこそ、自然界でも人として存在できる。

1) https://happylifestyle.com/3423 (閲覧2015.11.21)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/数学上の未解決問題 (閲覧2015.11.21)
3) ジョージ・G・スピーロ: ポアンカレ予想. 早川書房. 2007.

 
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