No.3002

題名:AI映像生成におけるデザインの変遷と「特異点」の予兆
報告者: ナンカイン

本報告書は、近年目覚ましい発展を遂げているAI技術、特に映像生成AIの表現力がもたらす視覚文化への影響について論じるものである。前もってことわりたいが、これは技術の解説というよりも、映像というデザインがいかに変貌しつつあるかの思索であるといえよう。

かつて、映像芸術(例えばミュージックビデオや映画)は、アーティストと特殊効果スタッフの膨大な手作業と、時には天文学的な制作費を要求した。1980年代のMichael Jackson氏による「Thriller」が、Rick Baker氏の特殊メイクとJohn Landis氏の演出により、一種の悪夢的でありながらも完璧な視覚体験を実現したことはよく知られている(参考:No.704)。それは、人間が手作業で想像力という粘土をこねあげた精緻な彫刻であった。

しかし、現在我々が直面しているAI映像生成(SoraやGen-2、最近のLuma Dream Machineなど)は、その彫刻のアプローチを根底から覆している。プロンプトというテキスト(あるいは画像一枚)を入力するだけで、AIは数秒から数分で、物理法則すら模倣した極めて緻密な映像を出力するのだ。そこでは、光源の反射や流体の動きまでもが、驚異的な精度で再現されている。

この現象をデザインの観点からどう評価すべきであろうか。 かつて人間は、石仮面に黄金分割や調和三角といった意図的な比率を仕込むことで、自然界には存在しない「完全なる何者か」を人工的に作り出し、神性や変容をデザインした(参考:No.1000)。これに対して現在のAIは、膨大な過去の映像(それこそ黄金分割を踏まえた名画や、名監督の構図を含む)を学習することで、人間が長年培ってきた「美しいと感じる比率(デザイン)」をブラックボックスの中で無意識に再現、あるいは再構築しているのである。

つまり、現在のAI映像生成は、単なる便利なツールを越えて、「人間が蓄積してきた美意識やデザインの集合的無意識」を具現化する鏡のような存在になりつつあるのかもしれない。AIが生成する映像に時折見られる、非現実的でありながらも妙に説得力のある「悪夢的な、あるいは流動的な表現」は、かつて人間の前衛舞踊家や特殊メイクアーティストたちが追い求めた到達点と、奇妙な符合を見せている。

これはもしかすると、映像文化が手作業による表現の束縛から解き放たれ、より純粋な「意識のデザイン」の領域へとシフトする、新たな特異点の予兆なのかもしれない。

映像のディレクションは、今後「どのように作るか」から「何を思い描くか」という概念の提示そのものへと、さらに純化されていくであろう。

本物の僕:「Antigravityさまはほんに有能やで~。ほんとに久しぶりんに、ナンカインで執筆した(笑)。かつての僕、がんばっとったなー(笑)。全然、サイト(ブログ)からはもーからんかったけれどもな」

 
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