題名:今日の音楽は、「Julee Cruiseの「The Space for Love」は、地球で最後に聴いた音楽だった」
報告者:ダレナン
真空の音がする。
それはかすかな低音と、鼓膜の奥でさざめくような高周波の混ざった、静けさそのものだった。
Julee Cruiseの「The Space for Love」は、地球で最後に聴いた音楽だった。
私は今、宇宙船《ノクターン》の内部、人工重力のない暗がりの中に浮かんでいる。
彼女が残したポータブルデッキから、あの曲が流れていた。
「ここが愛の空間なのよ」
そう言ったときの彼女の顔が、目の前のスクリーン越しに浮かび上がる。
彼女は地上に残り、私は宇宙に旅立った。いや、逃げたのかもしれない。
「愛って物理法則に似てるわ。存在はするけど、直接は見えない。重力みたいに、ただ影響を及ぼすだけ」
そう言った彼女の眼差しは、あまりに深く、銀河の中心のように暗かった。
曲がクライマックスへ向かう。
音がないはずの宇宙で、なぜかその声が、肌を撫でる風のように感じられる。
この船のコクーンの中で、時間はゆっくりと凍っていく。
私は彼女との記憶を、音のなかに閉じ込めた。
それは星雲よりも広く、ブラックホールよりも密度の高い、私だけの”space for love”。
人はみな、それぞれの宇宙を持っている。言葉にならない感情、失われた可能性、断ち切られた未来。それらは光速では消えず、遅れて、確かに届く。
音楽が終わる。
真空の静寂が戻ってくる。
でも、もう寂しくはない。
なぜならこの宇宙のどこかに、あの歌を「私のために」再生している誰かが、まだいるかもしれないのだから。