No.2930

題名:今日のお題は、「あの日の光景 {あの時、僕は}篇」
報告者:ダレナン

(No.2929の続き)
僕は今でも、あの日の光景をはっきりと覚えている。

冷たく響く地下鉄の発車ベル。鉄の匂いが混じった風がホームを吹き抜ける中で、彼女はただ、静かに僕を見つめていた。
その瞳には怒りも、悲しみもなかった。ただ、あきらめだけが、静かに沈んでいた。

僕は叫びたかった。本当は違うんだって。
なのに、口をついて出た言葉は、また彼女を責めるものだった。

——なぜ、そんなに楽しそうに他の誰かと笑えるんだ。
——なぜ、僕を置いて、あんなに自由なんだ。

信じていたはずの心が、何か見えないものに飲み込まれて、疑いへと変わっていった。
僕の胸に渦巻いていたのは、たぶん、彼女の美しさへの嫉妬だった。
彼女の、誰にでも優しく微笑みかけるあの無邪気さへの、羨望だった。
それとも、彼女の中にある、自分にはない確かさへの、劣等感だったのかもしれない。

わからない。ただ一つ言えるのは、あのときの僕は間違いなく、どうかしていた。

彼女が小さく首を振り、微笑んだように見えたのが最後だった。
そして、地下鉄の扉が無情にも閉まった。
その向こうに、彼女の背中が小さくなっていった。

あれからどれほどの時が流れても、あの最後の顔が、胸にこびりついて離れない。

今ならわかる。
あれは、僕に絶望した顔ではない。
傷つけられた自分よりも、そんな自分を愛してしまったことに対する、自嘲だったのだと。

——ごめん。
何度、心の中でそう呟いただろう。

誰に届くわけでもない謝罪。
ただ、今でも僕は思う。

あの時、もしも、たった一言でも「好きだ」と言えていたら。
僕たちは、違う未来を歩めたのだろうか、と。

 
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