No.2926

題名:今日のお題は、「妖精になる日」
報告者:ダレナン

(No.2925の続き)
「あたし、妖精に生まれ変わりたいんだ」

彼女は、ぽつりとそう言った。
温泉街のはずれ、小さな入り江。
冷たくなり始めた風の中で、白いシースルーのワンピースを着た彼女は、静かに立っていた。
沈みかけた夕陽が、空をゆっくりと紫色に染めていく。
彼女の金髪が、ほとんど透明みたいに光った。

「ねえ、ちゃんと撮って。……今のあたしを、ちゃんと」
笑いながら言ったその声は、かすかに震えていた。
それでも彼女は、いつもみたいに海へ向かって歩き出した。

波が、そっと素足を濡らしていく。
シースルー越しに透ける体は、まるで今にも空気に溶けてしまいそうだった。

たぶんこれは、彼女なりの、最後のわがままだったんだ。
もう誰にも言えない願いを、写真にだけ閉じ込めたかったんだ。

僕は、夢中でシャッターを切った。
Hasselblad 500C/M。
レンズ越しの彼女は、息を呑むほど美しくて、そしてもう、手の届かない場所にいた。

「ねえ……あたし、いなくなっても、忘れないでね」
「……妖精になったら、そっちから、探しにきて」

風にかき消されそうな声だった。
涙が滲んだのか、ピントが合わなくなった。

約束も、祈りも、哀しみも、全部フィルムに焼きつけた。
シャッターを切るたびに、何かが少しずつ遠ざかっていった。

そして彼女は、振り向かなかった。
最後まで、笑っていた。

レンズ越しに見た彼女は、もうとっくに、この世界の重さを手放していた。

(注)画像はあくまでも創造です。Hasselblad 500C/Mの撮影によるものではありません(笑)。

 
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