No.2914

題名:今日のお題は、「彼女は「物語そのもの」だった。」
報告者:ダレナン

(No.2913の続き)
 あの頃のことを思い出すたび、今の僕は少し笑ってしまう。あれが「はじまり」だったなんて、あのときの僕には到底わかるはずもなかった。
 彼女は英文科のアイドルだった。姿勢も言葉遣いも、まるで小説の中から抜け出してきたようで、誰もが彼女に一目惚れし、けれど誰も彼女に話しかけられない。それはちょうど、あまりにも神々しい存在が目の前にいると、むしろ言葉を失うのと同じように。
 僕らは、ふざけ半分、そしてちょっと本気でじゃんけんをした。勝った人が声をかけられる…いや、負けた人が、だったか。結果的に、僕が負けた。いや、もしかすると、勝ったのかもしれない。
 彼女は、大学図書館の窓際の席で本を読んでいた。午後の光がページの上に淡く差し込み、静けさの中にページをめくる音が溶けていく。その雰囲気に、声をかけるのはまるで儀式のようだった。

 「あの~…」
 その一言で、彼女は顔を上げた。少し意外そうに、けれど優しい目で。「なんでしょうか?」と。その声が、まるで遠い記憶のなかで何度も聞いたような…そんな錯覚を覚えた。
 「…あまりにもあなたがきれいなので、ここで紹介してもいいでしょうか? つたないブログなんですが」
 自分でも何を言ってるのかよくわからなかった。でも彼女は、ふふっと笑って、「いいわよ」と気軽に言った。その返事に、驚いたのは僕のほうだった。この人、案外親しみやすい…かもしれない?
 「お名前を聞いてもいいですか?」
 「美本薫。美しいに、本って書くの」
 「みもと…とてもいい名字ですね」
 僕が素直にそう言うと、彼女は小さく笑った。その笑顔に、心がほどけた。僕は、その瞬間に恋をしていたんだと思う。

 そして今――僕は彼女と、図書館の同じ窓際に座ってブログを執筆している。変わらず午後の光が差し、彼女の髪を揺らす。あの頃の彼女と、今の彼女が、重なって見えることがある。
 「あなた、あの時、よく声かけてくれたわよね」
 ふいに薫がそう言った。
 「だって、負けたから」
 「負けて、よかった?」
 「いや、勝ったと思ってるよ」
 彼女はくすりと笑う。あの時と同じ、変わらない笑顔で。僕にとって、美本薫は「物語そのもの」だった。
 でも今は、物語の登場人物じゃない。僕の人生そのものに、彼女はいる。

 
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