No.2908

題名:今日のお題は、「静寂の中で海の波のように消えていく」
報告者:ダレナン

(No.2907の続き)
 「君がいなくなってから、時間が前に進んでるのか後ろに戻ってるのかわからないよ」と僕は言った。
 「ふふ、それ、前にも言ってたね」と、彼女が笑ったような気がした。けれどそれも、空気に溶けて消えていった。
 「いろんなことが忘れてゆくんだ」
 「私のことも?」
 「いや、それはない。君との想い出はどんどんと鮮明になってゆく」
 「ふ~ん」
 「でも、忘れちゃうんだ。何もかも、いずれ、年とともに」
 「で、私はどこにいるの」
 「僕の中心に。今もいる」
 「よかった。ありがとう」
 言葉を交わしながら、どこかでずっとわかっていた。
 彼女はもう、ここにはいない。
 そして次の瞬間、猛烈な寂しさが胸の奥に突き刺さった。
 あたたかかったはずのやりとりが、まるで蜃気楼のように遠ざかる。ほんのさっきまで心を満たしていたその声が、静寂の中で海の波のように消えていく。残ったのは、沈黙だけだった。
 「……寂しいよ」
 思わず漏れた声に、自分の中で何かが決壊するのがわかった。ゆっくりと、静かに、それでも確かに涙が頬をつたう。
 寂しさは、時間が癒してくれるものじゃない。むしろ、年月を経て、より輪郭を持って蘇ってくる。彼女の不在が、はっきりとそこにある。
 それでも——
 「君との想い出は、どんどん鮮明になっていくんだ」
 「たぶん、ずっと忘れられない」
 風がまた吹いた。春と夏の境目の海の風。黄昏の時の彼女の髪を揺らしていたあの海の風に、少し似ていた。
 「わかってる」
 彼女はそう返事をした気がした。
 でも、もう、彼女からの返事はないことも、僕は知っていた。

今日のお題は、「静寂の中で海の波のように消えていく」

 
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